No.1295 ≪台湾と言えば李登輝師≫-2024.1.17

今もって能登半島地震の影響で1月15日現在、死亡者が222人、安否不明者22人、災害関連死13人、避難者は約19000人、孤立地域が15地区415人という状況が続いています。一刻も早い平安を祈ってやみません。

さて、世界が注目する台湾総統選挙は民進党の頼清徳氏が勝利し、蔡英文総統の2期8年と合わせて12年間民進党が政権を担うことが決定しました。国民が国のリーダーを民主的に選ぶという今の台湾の政治風景は李登輝師の影響が多大だと思っています。
いまは昔、2014年に台湾のある会社の50周年祝賀式に顧問先のご縁で参加させていただいたとき、正面玄関の松の根元には李登輝師が「根留台湾」と揮毫された石碑がありました。その祝賀式には尊敬して止まない李登輝師も来られると聞いてワクワクして出かけました。お会いしたらぜひお茶を点てて差し上げたいと思い、お茶の稽古はもっぱら茶箱点前を集中的にならいました。お菓子は学生時代を過ごされた京都のものを選びました。残念ながら、その時は体調を崩されてお会いすることはかないませんでした。事あるごとにチャンスを狙っていましたが、その時は来ずに、2020年7月30日に97歳でお亡くなりになりました。

私が李登輝師を尊敬する理由はその生い立ちと所作にあります。師は1923年1月15日に日本統治時代の台湾で日本人「岩里政男」として裕福な家庭に生まれ、京都大学在学中に学徒出陣で陸軍に入隊します。招集された時に上官から配属希望を聞かれ「歩兵にしてください。二等兵にしてください」と皆が最も嫌がるきつい部署を希望して上官に笑われたそうです。背景には実家が大地主だったこともあり、小作人が苦しむ不公平な社会に対する反発があったのかもしれません。22歳の時、日本敗戦で強制的かつ自動的に蒋介石率いる中華民国人となりました。日本人として生きる選択の余地はなかったのです。師はそのころ共産党員を志向した時期があった告白されています。また、所作とは、北京政府だけでなく国民党からも非難を浴びた兄上の御霊が合祀されている靖国神社に参拝した際の所作です。宮司に「永らく参拝もしなかったにも関わらず、御霊をお守りくだされ御礼申し上げる」と挨拶したという正統派日本人以上の日本人像を見るからです。

その後、1946年6月に第二次国共内戦が激化し、1949年12月、蒋介石率いる中華民国は毛沢東の中国共産党に敗れ、中華民国の一地方であった台湾省に亡命し台北を拠点として復活を目指しました。日本の統治になれた台湾では「犬(日本人)が去って豚(外省人)が来た」と揶揄されたように文化度に大きな落差があり、それを危険視した蒋介石は日本の教育を受けた高学歴知識人を粛清にかかりました。後に「2.28白色テロ」と呼ばれる事件で、この事件を機に中華民国は無期限の戒厳令を発布しました。日本人として京都大学で農業経済を学んだ李登輝師も粛清の対象の一人だったと思われますが、中国語(北京語)をマスターして努力してアメリカに留学し学位を取り研究者として活躍し、台湾に戻り台湾大学で教鞭を取りました。その後、特務機関から共産党入党歴やアメリカ留学時代の知人が蒋介石の息子の蒋経国暗殺事件に関与していた嫌疑でマークされ出国禁止処分となりました。

その後、実質的な蒋介石の後継者となった蒋経国は積極的に本省人(台湾人)のエリートを登用する政策を打ち出し、推挙されたのが李登輝師でした。特務機関が要注意人物としてマークしていたにも関わらず受け入れた蒋経国も一流の人物だったと思います。

1978年には台北市長に抜擢され、1984年には蒋経国の指名で副総統選挙に立候補し当選しました。1988年に蒋経国総統が任期途中で死去され、中華民国憲法の定めにより副総統から総統に就任しました。

本格的な改革はここから始まります。1990年は総統選挙です。それまでの選挙は1期6年で国民大会の終身議員による間接選挙でした。魑魅魍魎が渦巻く台湾政界をリードして、総統に就任し、さまざまな難問を解決してゆきます。まず1947年に無期限の戒厳令を発布していましたがこれを1991年5月に解除します。憲法を改正することで既得権益となっていた終身議員を退職させ、万年国会と揶揄された国民大会を解散し改選します。
さらに、「民主化」をキーワードに、改革を進めます。この改革は「静かな革命」と呼ばれ、統一でも独立でもない「台湾の民主化」を進めていったのです。

そして、中国大陸で事件が起きました。1994年3月31日に中国杭州市で台湾人観光客・乗員30名が中国人強盗団?に殺害された千島湖事件で「中国共産党の行為は土匪と同じだ。人民はこんな政府をもっと早く唾棄すべきだった」「(事件について穏便に言った方がよいという意見に対して)こんなときはガツンとやるに限るんだ。そうすると中国人はおとなしくなる。下手に出るとつけあがるよ。日本は中国に遠慮して、つけあがらせてばかりじゃないか」と述べており、土匪という激烈な言葉で中国を激しく批判した。(Wikipedia)

1994年7月に国民大会で1996年の第9期総統選挙より国民が直接リーダーを選ぶ直接選挙を実施することが賛成多数で決定され、同時に総統任期を「1期4年・連続2期」の制限を付し独裁政権の発生を防止する規定を定めたのです。そして、最初に直接選挙で選ばれたのが李登輝師です。今回の総統選挙は第16回目で、直接選挙としては8回目になります。

李登輝師が人口2000万人の台湾が13億人の中国に対抗できたのは、武力でも経済力でもイデオロギーでもなく「民主化」というキーワードでした。自分たちは中国人ではなく台湾人だというアイデンティティが醸成され、台湾の事は台湾人が決める意識を確立したのです。たった一人のリーダーがここまでできるというのを見て素直に尊敬しております。
これからの台湾がどのように進むのか、楽しみに見守ってゆきたいと思っています。