No.1079 ≪経営における「怒」と「恕」について≫-2019.9.5

経営者の物の考え方として、「原因自分論」と「現状否定」がもっとも大事だと提唱しております。これは私が前職で学んだもっとも重要な考え方です。教えていただいた方はいずれも天上におられますが、今も私の芯棒をなす考え方となっております。経営がぶれるぶれないというのは芯棒の有無によると思います。

しかし、簡単に「原因自分論」とはいうものの、なかなか納得できない不条理なことも多々あります。天気が悪いのも、景気が悪いのも、社員が育たないのも、日韓関係が悪いのも、すべて「原因自分論」、私が悪いのです。では、業績が絶好調、憧れの取引先と契約できた、有能な社員が採用できた、工場拡張のための土地が手に入ったのも「原因自分論」かというとそうではありません。それは、社員のおかげ、お客様のおかげです。
この考え方を「原因自分論」と言います。不合理でも不条理でも、うまくいかない原因は「原因自分論」で、私の考え方や行いが悪いのです。うまくいくのは、私以外の人々のおかげなのです。

ある会社で、幹部がなかなか育たないので社長が困っておられました。いわれたことはやるのですが、どうすればもっとうまくゆくか、社長の思いは何かを深く考えて、行動を起こす前に、自分の案を整理して、提案すれば何を考えているかわかるのですが、「社長、やっておきました」という結果報告しかしない。
ある時、社長はA部長に、「最近の資材高騰や人手不足、4 月から始まった働き方改革で、コストが上がっている。10 月からは消費税増税もある。そろそろ価格改定を考えてほしい」と指示しました。

数日たって、A 部長は「社長、ダメでした。先方はうちも大変だから値上げは認められないと言っていました」と報告してきました。「A 君、どう言う事だ?」「社長が値上げしろとおっしゃったので、得意先に電話で、交渉しましたが、いきなりそんなこと言われても困ると怒られ、うちも大変なんだから駄目だとのことでした」社長は唖然として、「そんな大事なことを、何の相談も準備もなく、作戦も立てずに、電話で済ますやつがあるか? 君は何年わが社で仕事しているんだ」と大きな声を出してしまいました。

そこで、「原因自分論」です。A 部長の力量や能力、日ごろの行動スタイルについて、社長は知っていたはずです。「価格改定をしたいので、相談に乗ってくれないか?」と言えば、A 部長の力を活かせたかもしれません。思い通りにならなかったり、自分の判断が間違っていた場合、ついつい相手のせいにしてしまうことがあります。その時は「怒」の感情が出るのは自然なことです。
社長がA部長に対して持ったのも「怒」の感情です。私のそばに何年もいて、しかも部長ともあろうものが、なぜそのような幼稚な行動をするのか。
「怒」という漢字は、女+又+心から成り立っています。「女」=弱いものの総称で、「又」は害しようとするものをサスマタのような道具で防御しようとする様、「心」は感情を意味します。つまり「怒」は弱いものが自分を守ろうとする感情を意味します。A 部長にとった態度は間違っていないと自己防御する社長の心の表れです。

原因自分論に立とうとする私達はこれを、「恕」に置き換えねばなりません。
「恕」という漢字は、女+口+心から成り立っています。弱いものが、武力ではなく口で忍耐強く諭そうとする感情を言います。そこには相手を「ゆるす」気持ちが既にあります。「ゆるす」という漢字には、許す、赦すもありますが、いずれも権力者が弱者に対して示す状態です。「恕」はなんら権力も力も持たないものが、いかなる不合理や不条理な事もゆるすことを言います。

孔子が弟子の子貢から、「先生、一生それを守っておれば人生がうまくゆく言葉を一語で教えてください」と頼まれ、「それは恕かな」と答えたという逸話があります。 私達経営者も孔子先生には及ばないにしても、原因自分論に立ち、いかなる災厄も真正面から請負い、逆境を飛躍のチャンスととらえ、「怒」の感情を抑え、「恕」の心境になれるよう努力したいものです。