No.1096 ≪阪神淡路大地震に学ぶBCP≫-2020.1.15

1995 年1 月17 日(火)早朝5:47。未曽有の「阪神淡路大地震(M7.3)」が発生しました。死者・不明者6,437名。負傷者43,792 名。全壊家屋104,906 棟。半壊174,474棟。全焼7,036 棟。犠牲になられた方々のご冥福と被害に遭われた方々の平安を心よりお祈りいたします。

あれから25 年の四半世紀が経過し、神戸はすっかり復興しました。地震発生当時の日本はバブル崩壊直後で、この世の終わりのような暗い年明けを迎えていました。
前年(1994 年)の6 月27 日には不気味な「松本サリン事件」が発生し、10 月14 日には「北海道東方沖地震(M8.2)」が発生し、12 月28 日には「三陸はるか沖地震(M7.6)」が発生しました。そして、元旦から得体のしれない不気味な事が多発し、暗い世相をさらに暗くし、天から魔王が下りてきて人類が滅亡するという「ノストラダムスの大予言」がまことしやかにささやかれていました。そんな中で、1 月17 日の阪神淡路大地震が発生したのです。
多くの方がお亡くなりになり、ビルの倒壊、阪神高速道路の横倒し、民家の倒壊、通電火災で神戸の街が火の海になりました。焼野原の向こうに海が見えました。普段はビルや建物で見えるはずの無い海が見えたのです。
ライフラインが分断され、JR、阪急、阪神の鉄道各社が昼夜兼行で復旧工事をして、道路網の補修も急ピッチで進みました。

この地震を機に急速に普及したのが、携帯電話です。
安否確認は公衆電話を使いましたが、すぐにパンクしてしまいました。携帯電話が発売されると、我先に買い求め、ものすごいスピードで普及しました。サプライチェーンの見直しが進み、複数購買が常態化しました。災害対応ゲーム「クロスロード」も地震にかかわった人々の悲喜こもごもの経験から生まれ、普及しました。
電子メールやインターネットの有用性が証明され、その後発売されたWindows95 は爆発的なヒットとなり、今のネット社会が到来しました。一方、人と人のふれあいやぬくもり、絆が再評価されました。

余談ですが、2011 年3 月11 日に発生した未曽有の東日本大震災を機に普及したものは、スマホ、LINE、Twitter、絆です。これらが爆発的に普及しました。皆が困ったこと、即ち社会問題を解決することがビジネスの王道であることが証明されました。

世の中には3つのさか(登り坂、下り坂、まさか)がありますが、当事者にならないと「まさか」の準備はできないものです。災害に巻き込まれたり、詐欺に騙されたり、事故に遭遇した時、人は「まさか自分に起きるとは思いもしなかった!」と言います。本来、何事もなく平穏な日々を送れることこそが奇跡であって大いに感謝すべきものです。ところが、残念なことに私たちは、身に災いが起きない限り日常の平安のありがたさをかみしめることができません。
何があっても不思議はないのです。帰宅難民対策、食料備蓄、バッテリー対策等のいざという時に備えようという意識が企業にも人にも芽生え、普及しつつあるのは、阪神淡路大震災、東日本大震災、最近の大雨による大災害によるものが大きいと思います。不測の事態に備えることは頭では分かっていても、何事もなく安定している時はついつい後回しにしがちです。そうではなく、このような大災害の記憶をきっかけに備えてみませんか?

会社でいえば、BCP(Business Continuity Plan)の策定がそれに当たります。
阪神大震災や東日本大震災のような大規模な地震やテロ等が発生すると、冷静な状況判断をとることはとても難しいものです。様々な制約が発生し、日常業務の遂行が困難になり、設備が毀損したり、従業員が被災したり、データセンターが被災したりすると、企業活動が十分にはできなくなります。
限定的なヒト・モノ・カネ等の経営資源を最も効果的に活用するためには、もしもの時に守るべき業務とそのレベルをあらかじめ設定しておく必要があります。復旧までのプロセスや時間を設定しておくのです。そのために、費用対効果を含めて、何に投資するか戦略的に計画することがBCP の役割と言えます。
もしもの時のために、BCP を作ってみてはいかがですか?