No.1299 ≪ヨソモノ・ワカモノ・バカモノの威力≫-2024.2.14

宇宙の真理、自然の摂理は老若男女×異国×異業種×異質×異文化×多様性のある所に発展が約束されています。中でも、社会や会社の発展にヨソモノ・ワカモノ・バカモノの存在は不可欠です。その威力をご紹介します。

1.ヨソモノの威力
北海道の「ニセコ(エリア)」がマスコミで沸騰しているのをご存じだと思います。物価高騰の中でも数にものを言わせた大手企業によるデフレ圧力が幅を利かせている日本においてケタ外れな「高価格」がまかり通っている地域です。ニセコエリアとは「蘭越町」「ニセコ町」「倶知安町」を指します。
札幌市でラーメンを食べると1000円程度。ニセコで食べると3000円〜4000円。札幌市でかつ丼を食べると1000円程度。ニセコで食べると3000円。それが安いと言って売れるのです。欧米ではラーメンが最低3000円以上するので、まさに国際価格。不動産でみると、札幌市の一等地の札幌駅近くの北海道大学前の地価が平方メートル単価110万円、ニセコで113万円。札幌市のコンビニの時給が1000円、ニセコで1700円。それも随時上昇中とか。
ニセコでは売り出し予定の分譲コンドミニアムは約400平方メートルで14億円とか。ホテルも1泊200万円以上の部屋が埋まってゆくそうです。あの「アマンホテル」も開業予定だとか。 顧客は誰か? 外国人旅行者です。限られた狭いエリアとはいえ、県都札幌市から車で2時間しか離れていないところに別世界が誕生しているのです。
岸田政権が物価上昇率を上回る賃上げ実現を目指して様々な政策を打ち出していますがうまくいっていません。ニセコでは人件費が上がるから物価が上がるという本来の循環が起きています。なぜでしょうか? 人材を確保するために待遇競争しないと集まらないからです。

このきっかけを作った人はヨソモノのオーストラリア人、ロス・フィンドレーさん。1989年に来日しニセコのパウダースノーに魅せられ、ついには1992年移住してしまいました。ウインターシーズンのみでは経営が成り立たないと見たフィンドレーさんは通年リゾートにすべく尻別川でラフティング事業を起業したのです。
そしてニセコのスキーリゾートとしての魅力、雪質のすばらしさ、自然のすばらしさを英語で世界に発信したのです。日本にインバウンドブームがおきた2016年より20年も前の事です。南半球の欧米系の人たちがどんどん増えて、その人たちのウインターリゾートライフを充実するために、ホテル、コンドミニアムが多数建設され、観光客を目当てに多種多様な店舗が多数増えました。通年事業とはいえ、ピークはウインターシーズンですので4か月で1年分の採算を合わせるには最低でも3倍の価格は当然だったのです。特に人手不足は深刻ですので人材獲得合戦が起きます。待遇を良くしないと人が採用できません。待遇の高さに魅力を感じた人々が道内だけでなく全国から働き口を求めてやってきます。英語圏の観光客が多いので語学のスキルアップを目的にした方も多数集まってきます。働き手のための衣食住も必要ですので、経済が活性化します。

観光客増加→人手不足→人件費高騰→高価格化→地価高騰→投資活性化→進出企業増加→魅力増加→観光客増加→人手不足→人件費高騰→高価格化→地価高騰→投資活性化→企業進出増加と善循環します。地価高騰を見込んだ活発な投資資金が流入し建設ラッシュになり、まるでバブルの様相を呈しています。課題はこれをいかに持続させるかです。

2.ワカモノの威力
東日本大震災で9割以上の家屋が津波に飲み込まれ壊滅的な打撃を受けた東北の市町村の中で、女川町の復活が精彩をはなっています。東日本大震災から13年がたち、表面的には町は整備され巨大な堤防も建設され防災面で問題は解決したはずですが人口が戻るには時間がかかっています。女川町は最近では人口が増加しています。大震災の時に65歳の安住宣孝町長がリーダーシップをとって皆で高台に移住しようと呼びかけ復興計画を作り、実行に移したのは町長選挙で39歳の若さで当選した須田善明町長でした。
「20〜30年後の責任を取れる30〜40代の若い世代が中心になって計画を作ろう。60代以上は口を出さず、相談に乗ろう。海とともに生きてきた女川町が海を否定したのでは生きてゆけない。巨大な防潮堤で海が見えなくするのは悲しい。すべての家から海の見える街づくりをしよう」
乗り越えないといけない課題が沢山ありましたが一つ一つ解決してゆきました。津波が来ても被害にあわない高台にコンパクトシティをつくり全住民が例外なく移転する。海岸線に沿った4.4mの防潮堤の上にm以上盛土をして防潮堤を隠すことで海の見える町が実現しました。
この計画を実現するために最も心を砕いたのは、津波の被害を全く受けていない住民も高台に移転する了解を取り付けることだったようです。住み慣れた無傷の住宅を捨て高台に新築するのですから心理的にも経済的にも簡単には納得していただけなかったことは容易に想像できます。
また、青森県から千葉県まで432kmにわたる15m弱の防潮堤が建設され海が見えないようにしたのに、なぜ女川町だけが海が見えるのかと相当の批判があったようです。様々な工夫とアイデアで乗り越えていったのです。もっと詳しく知りたい方は 
https://www.sankei.com/article/20210310-YQP4Q3JLRZOVTCRRE3SPGVLWZ4/  をご覧くださいませ。

社会を変革するのはヨソモノ・ワカモノ・バカモノと言いますが、常識や固定観念を乗り越えなければ実現できません。抵抗勢力は必ず存在しますし、抵抗勢力を納得させるだけの突破力が必要です。最初は一人から始めるしかありませんが、一人また一人と理解者を増やし大きな勢力に育てるだけの覚悟と忍耐強さがいります。しかし、正しい動機、正しい大義があれば必ず実現できるものだと2人の事例から学びました。