No.1153 ≪「責めごころ」は百害あって一利なし≫-2021.3.17

政治や外交はさておき、日常の人間関係の中で、自分を正当化するためには、誰かを責めないと正当化できない時があります。その時が、人間としての勝負時かと思います。いつも、私は責めてから後悔しているのですから情けない話です。
そのことに気づいてから、極力、考え方や話し方の中で「〇〇するべきだ」と「なぜ〇〇しないのか」「どうしてわかってくれないのか」といったフレーズを使わないように心がけています。長年の癖で完全ではありませんが。

ある会社で重大クレームが発生しました。A社の責任者から営業担当に「1週間前に入荷した御社のb商品10ケースのうち、1ケースから不適格品が見つかった。すぐに生産は止めたが、入荷ロットのb商品はすでに製品に組み込んで工場出荷している。うちで手分けして納品先の50店舗をすべて調べたが、店にあった製品はすべて適格品が使用されていた。しかし、すでに販売されているかもしれないので、ほかにも不適格品が出荷されていないか、至急調べて報告してほしい」と一報が入りました。

営業担当はすぐさま社長と生産責任者の専務に報告し、急遽調査をすることにしました。
お客様から一報のあったb商品は過去に別の顧客から使用材料の問題を指摘され、使用中止にしていたものでした。材料を変えると外観も変わるためA社に確認すると、外観を変更しないよう要請があったので、工夫の末、外観を変えることなく改良した商品でした。入荷時に外観検査だけではわからないので、検査室で不適格品と適格品と比較検査して出荷していました。b商品の受入検品は皆が注意していました。
以前使用していた材料は廃棄するよう仕入先に要請し、マニフェスト写真で確認済でした。材料変更した当初は全数検品して確認していましたが、問題なく入荷していたため、サンプリング検品に切り替えていたのです。
それが何かの手違いでA社に納品され、今回の一報になってしまったのです。
在庫しているb商品をすべて開梱して検査しましたが、不適格品は発見できませんでした。専務は「もしかして・・」と思い、検査室に管理してある不適格品サンプルを確認しました。
「やはりそうだったか」 なんと不適格品と表示された場所にあったのは改良した適格品だったのです。
何らかの手違いで、検査後に不適格品サンプルを適格品ケースに戻してしまったのでしょう。
専務はA社の責任者に「調査の結果、納品したb商品はすべて適格品である」ことを伝え、事情を説明し、了承をいただき事なきをえました。のちに是正処置報告書をA社の責任者に提出し、クレームは終結しました。専務は誰も攻める事もしませんでした。

この時、数名いる検査員を追求し、責めるのは簡単ですが、追求すべきは「Whyなぜそのような不具合が起きたのか?」という原因追及と二度と発生させないための歯止め策です。原因がわかれば、「How私たちはどうすればこのような不具合を二度と起こさないか」が対策できます。不具合という改善のチャンスを得たのですから二度と起こさないために歯止め策を講じることが重要です。不具合を意図的に再現できれば歯止め策は有効です。

このプロセスで「Who誰がやったのか?」が話題になると犯人探しが始まってしまいます。犯人探しが始まると本質からどんどん遠ざかってしまいます。なぜなら、Whoを焦点にしてしまうと感情が入り、「やっぱり彼だったのか」と主観が入り、科学的で客観的事実に基づく原因究明とは程遠くなってしまうのです。
「なぜ基本通りしなかったんだ?」「どうしてそんな大事なことに気づかなかったんだ?」「いつも言っているだろう?」と責めごころがとめどもなくあふれてきて怒りに変わってゆきます。
相手が何か言おうとすると、「言い訳するな」「弁解はよせ」「わかった。もうよい」と口封じするのがおちです。これでは人間関係はおろか、信頼関係やモチベーションは上がろうはずがありません。

誰にも意図しないミスや不具合はあります。いわゆるポカミス、注意不足です。気づいた本人がいちばん後悔しています。この時に責めごころで接すると成長のきっかけになるどころか、反発と怒りを誘発し、人間関係が壊れてしまいます。場合によっては、悪意を持って意図的に会社や上司に危害を及ぼす人も出てきます。

私のまずい経験をお話しします。私は経営コンサルタントという職業にプライドを持っています。この仕事はこれでよいという基準や限度がありません。MORE&MOREの世界です。一つの企画書やプランを作るにもできるだけ多くの情報を集め、人にも聞き、何度も書き直して、シミュレーションします。それでもなかなか満足なものができないのが現状です。尋常ならざる努力が必要な職業だと思っています。
問題は、これを人にも求めてしまうのです。工夫が足りないと思うと、「責めごころ」が出てくるのです。
「本当にちゃんと調べたの?」「この程度ならネットのコピーの方が上出来だよ」「本当に一流を目指しているの?」とか。もっと成長してほしい。彼ならもっと伸びる。もっと頑張ってほしいという思いから出ているとはいえ、当人はたまりません。
そして、ある時、それはエゴではないかとハッと気づき、「責めごころ」を封印しました。
すると、どうでしょう。どんどん変わってゆくではないですか? その人の成長を止めていたのは実は私だと実感したのです。「責めごころ」は百害あって一利なしです。