No.1249 ≪「バイデン大統領のキーウ電撃訪問」から学ぶ≫-2023.2.22

2023年2月20日、バイデン大統領がウクライナのキーウを電撃訪問しゼレンスキー大統領と会談しました。
このニュースを見てインテリジェンスの果実がたわわに実っている「さすがアメリカだ」と感心しました。果たして日本ができるのはいつ頃でしょうか。

海外で危険に遭遇した時、日本国はどう動くのか。過去の事例から学ぶことが必要です。
2021年8月15日。アメリカ軍が撤退したアフガニスタンでタリバンが復活しカブールを掌握し政権を奪取しました。旧政権は国外逃亡しました。この時の各国の対応を中谷元 元防衛大臣のインタビュー記事から一部要約し転載します。詳しいことは右記のURLからご覧ください。(https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20211004-00261412

「8月15日にタリバンがカブールを掌握し、17日には日本大使館員は全員、外国の軍用機で出国しました。アフガン情勢が切迫している事態に、大使館の司令塔たる岡田隆大使が、現地に不在であり、国外退去の陣頭指揮をとるべき責任者がおらず、対応が後手に回るのも無理からぬことでありました。自衛隊の輸送機を派遣し、27日に邦人1人を移送しましたが、日本政府は『今回のオペレーションの最大の目的は邦人保護だという意味でよかった』とコメントしていますが、とんでもないことであり、恥ずかしい限りです。
真っ先に脱出した日本大使の役割とは何なのかと疑問を持ちました。救援では26日夜、日本大使館の(現地アフガン人)スタッフや家族約500人がカブール市内の集合場所から空港に25台のバスで移動中に近くで自爆テロが発生し、空港にたどり着くことができず、アフガン国内に取り残されていました。
長年、日本大使館に勤めていた警備員は「自分たちの命は危険にさらされている。カナダやイギリスなどの大使館は現地職員や警備員を一緒に国外退避させているが、日本大使館は自分の責任で国外退避することは決められないと言って紹介状だけを残して立ち去ったままだ」と打ち明け、国外退去できるよう訴える嘆願書を出しています。
どの国も自国に協力してくれた通訳や職員とその家族の退避も邦人や大使館員と同様に大切にしています。今回、大使館員全員は外国機で退去したのに、大使館や国際協力機構(JICA)が雇用する現地職員、日本への国費留学生らを出国させることができませんでした。
オペレーションは邦人だけではなく、現地職員や通訳、JICA、NGO(非政府組織)、武装解除・地雷処理の業務で雇用していたアフガンの人たちの出国支援も必要です。日本のために働いてくれた人々の命を守ってあげることも重要な任務です。
英国大使は英軍の撤収完了とともにアフガンを離れる最後の便で帰国。英国大使はタリバンがカブールを掌握して以降、避難しようとする人たちの出国手続きをカブール空港で続け、8月14日以降、1万5000人以上をアフガニスタンから退避させました。米軍も8万2千人のアフガン難民を輸送し、司令官は最後の 軍用機で退避しました。
韓国はカタールに避難した大使館員が再び戻って対応し、バスを確保し、米軍人に同乗してもらい、検問を通過し、現地職員やその家族ら400人を軍用機で退避させました。タリバン兵に警護されてバス4台をタラップまで直接、乗り付けました。
出国にはタリバンの許可と意志疎通が必要で、そのためには大使と駐在武官の特別ビザや通行証の発行手続きが必要であり、大使館員がカブール空港に残って自衛隊輸送機の調整や出国を支援すべきでした。大使館は日頃から情報収集に努め、危機が起きたら迅速に判断できるよう大使館の警備、自衛隊派遣による安全確保の備えを高めておくことが重要です。」
自衛隊機にたった一人搭乗した日本人安井浩美さんの手記が下記URLにありますので合わせてご覧ください。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a481977915cf05cbaa186363531bcf7cb58a8a13

また、中東では様々な紛争があり、突如として危機が迫ります。先週はエルツールル号の恩返しで1985年3月17日のイラン・イラク戦争時の在留邦人救出ドキュメントをお届けしましたが、その5年後に、こんなこともありました。
1990年8月2日、イラクのサダム・フセイン大統領(当時)がクウェートに侵攻し、在留外国人の出国を認めず、拘束し、「人間の楯」として利用しました。日本政府は安全の確保のため合計261人のクウェート在留邦人を大使館に保護しました。イラク軍は大使館を包囲し、バグダッドに移送し拘束しました。政府間の人質解放交渉が難航する中、時が過ぎてゆきました。そして、一人の国会議員が行動を起こしました。故アントニオ猪木さんです。猪木さんは人質解放のために単身イラクに乗り込み、在留邦人と協力して「友好イベント」を企画することから始め、最終的に1990年12月に全員の解放を勝ち取ったのです。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/202007270003-spnavi?p=2
故アントニオ猪木さんの信念ともいえる詩があります。皆さんもご存じだと思いますが、改めてご紹介します。
「この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ。」

国に妄信的に依存するのではなく、私たちは日頃から我がこととしてインテリジェンスを磨き続けねばなりません。インテリジェンスの本質は人への信頼です。私は国内外を問わず、幸運にも、ゆく先々で直感的に信頼できる人と巡り合うことができます。そして、その方ととことんかかわりあうことで信頼関係を作っています。たとえ、騙されても納得できるかかわり方をします。故猪木さんが「道」で示してくれた人間へのゆるぎない信頼を自らの信念として実践してまいります。