今から100年前の1923年9月1日に関東大震災が発生しました。経営者の皆さんは、後藤新平をご存じでしょう。彼は遠大な未来を見る目を持ちそれを実現すべく行動することができた稀有な日本人です。
日清戦争後に日本に割譲された台湾の総督に就任した児島源太郎は、民生長官に医師の後藤新平を任命し統治を一任しました。後藤新平は力による統治の限界をしっており台湾の気候風土に即した生物学的な統治を行い、同郷の農学博士の新渡戸稲造を招聘(1901-1903)、農業、中でも糖業育成を図り民心を重視する統治を行いました。治水も悪く赤土の酸性土で不毛の地だった台湾を盟主であった清王朝は文明が及ばない化外の地としてまともな統治をおこなっていませんでした。医師である後藤新平はマラリア等の伝染病対策として衛生事業、治水事業を大規模に展開し、技術者の八田与一は今も現役で大活躍している巨大な烏山頭ダムを建設し、不毛の地を沃野に変え台湾の発展に大いに寄与しました。
台湾の民生長官から満鉄総裁、内務大臣、外務大臣歴任後、大臣経験者としては異例の東京市長(1920-1923)に就任します。任期を終えて6か月後に関東大震災が発生したのです。後藤新平の行動は早かった。
関東大震災発生翌日(9月2日)内務大臣に就任し、即日総予算30億円(現在価値:15兆円)の東京復興4方針(焼土全部買上、街路整備、港湾整備、上下水道整備、公園整備)を策定し、9月6日に閣議に提出しました。
構想は大反対に合い、30億円→10億円→7.2億円→4.7億円と減額され落ち着きました。パリ大改造を手本に、復興後値上がりした土地を売って回収する「超過収用法」を適用し、財政には負担をかけないよう配慮したにもかかわらず、当時の政治エリートの視野は狭いままでした。それでも、道路は72m道路、舗装率は9%から82%へ、隅田川に313の橋を建設し大小52の公園を6年半で実現したのです。
昭和天皇がインタビューに答えられて、「震災のいろいろな経験はありますが、一言だけ言っておきたいことは、復興に当って後藤新平が非常に膨大な復興計画(約30億円:現在価値15兆円)を立てたが…。もし、それが実行されていたら、おそらく東京の戦災は非常に軽かったんじゃないかと思って、今さら後藤新平のあの時の計画が実行されないことを非常に残念に思います。」(『陛下、お尋ね申し上げます』現代史出版会1982 年刊、文春文庫 1988 年刊)とおっしゃって後藤新平を高く評価されています。大きな視野で100年先の未来をみつめ、手を打つことがいかに大事なことか。
未来予測で最も確実で精度の高い指標が人口です。状況に応じて数億人程度の若干の誤差は生じますが、概ね確実な未来予想図です。人口は死亡率と出生率によって計算されます。日本のように死亡者が出生者を上回っている国はよほどの意識の変化あるいは国家による強制力がない限り概ね減衰傾向は変化しません。
100年前の1920年の世界人口は約18.8億人(国連統計2006年)と言われています。2020年は76.7億人(国連統計2006年)です。100年後の2100年は110億人(国連統計)だそうです。地球の許容人口が何名か不明ですが、食糧とエネルギーは確実に奪い合いになり格差は拡大すると思われます。これは誰でも簡単に想像できます。
では日本の人口はというと、1920年は5600万人(総務省)、現在は1.26億人(総務省)、2100年は7500万人(国連統計)です。世界人口に占める人口構成比は1920年で3%、2020年で1.6%、2100年で0.7%とどんどんとその地位を低下させています。2050年の世界人口はアジア53億人、アフリカ25億人、米欧11億人、その他8億人で合計97億人と予想されています。2050年までは地政学的にはアジアの時代、ユーラシアの時代であることは間違いありません。その中心は中国14億人、インド16億人です。ところが、2100年の地政学的な人口は、アジア47億人、アフリカ44億人、米欧11億人、その他8億人となり、アフリカの台頭が著しくなり、ナイジェリアが7億人と世界3位になり、アフロ・ユーラシアの時代に入ります。イギリスの地政学者マッキンダーの言葉を借りれば「世界島」の時代です。私たち経営者は100年先に思いをはせて今を経営する必要があります。何が経営の本質になるのか、考えねばなりません。
また、一方世界は覇権の時代に入って久しいです。覇権は各国が自国の国益増大に向けていかに有利に行動するかという論理の駆け引きの結果でもあります。歴史を振り返れば、いかなる強大な覇権国も滅びることはわかっていますが、熾烈な生き残りをかけて政治・軍事・経済の総合力を外交を通じて知力を尽くします。外交の裏付けは軍事力です。日本には戦後「平和憲法」の元で軍事力という裏付けのない外交を強いられていますのでより一層英知とインテリジェンスを磨かねばなりません。しかし、インテリジェンスは実戦的軍事力と密接不可分ですので、なおさら、何を磨かねばならないかと突き詰める必要があると思っています。恐らくそれは覇権に近寄らないことで磨かれる「文化」になるかと思いますが。
アメリカで公開された公文書で米中国交回復交渉の資料があります。そこにあるのは、1971年にニクソン米大統領の秘密特使としてキッシンジャー博士が北京を訪問した際の、国務総理・周恩来との公開された会談録の論旨は米中の対日利害が一致していることを示しています。
つまり、日本の軍国主義化を懸念する周恩来に対して、「米軍基地が日本にあり続けるのは、日本軍国主義の再来を抑えるためであり、そうした見地では中共にとっても必要な措置だろう」とキッシンジャー博士は周恩来の了解を得ているのです。米中共通認識の上で日中国交回復がなされているとすると、世界最強の日米同盟をそういう観点で見ておかねばなりません。
このような世界にいることも経営者は認知して、いかに会社を100年以上持続させるかを意図しなければならないと思います。残念ながら「これが正解です」という答えはありません。けれども100年以上は発展させ続けると思うところから始めることが大事だと思います。