誰もが先を見通せない混迷の時代です。今から思えば、2016年が潮目だったように思います。
アメリカ大統領選でMAGA(Make AMERICA Great Again)の考えのもと「AMERICA FIRST」を旗印にトランプ大統領が誕生し、世界が一変しました。誰もが予想だにしなかった結果でした。大統領就任後は選挙戦での公約を着実に実行に移し、TPPからの離脱、NAFTAの再交渉、オバマケア見直し、不法移民流入阻止のための国境の壁建設を着々と進めました。任期後半は中国との激しい関税戦争で、米中に新冷戦が再来かとひやひやしました。
一方、イギリスでは2016年にEU離脱の是非を問う国民投票で離脱派が勝利しました。その結果、反対派のメイ首相が退任し、推進派のジョンソン首相が就任。EU離脱は着実に進捗しました。アジアでは中国・習主席の提唱する一帯一路構想が2016年以降本格化し、EU向け鉄道運行本数は約400倍に増加しました。
世界は多くの犠牲者を出した第二次世界大戦後の平和社会を構築する上で、教訓を生かし、根気よく、長い時間をかけて国益より世界公益を優先する国際協調路線を醸成してきました。それが音を立てて瓦解したのが2016年以降です。話し合いではなく力で相手をねじ伏せる社会が芽生え、結果として国益優先を競い合う分断社会に突入しました。
そして、そこに新型コロナウイルスの蔓延です。世界はパンデミックになり、力を競い合う分断社会を襲いました。各国は、ロックダウンという都市封鎖と外国人の入国を禁止する「21世紀の鎖国」政策を実行しました。世界の分断は国内にも広がり、あらゆる国で様々な分断が顕在化しました。国内においては、コロナ感染防止対策と経済対策と格差是正と分断意識の融和政策を取らねばなりません。国外においては国益拡張合戦になりつつあります。特にアジアの緊張が高まっているのは皆さまもご存じの通りです。そして、バイデン大統領就任。これからの変化が楽しみです。
このような環境下、伸びる業界や業種と衰退する業界や業種がまだら模様に入り混じっています。様々なイノベーションが誕生し、社会の変化は明日の姿さえ見通せないぐらい混迷の度を増しています。
このような先を見通せない時こそ覚悟を決めた経営者の出番です。ニコッと笑ってドーンと胸をたたいて「心配するな!私に任せておけ!」と言い切ることが大事です。未来の正解がわかっている人はいません。正解はわかっていませんが、正解に近づくすべを知っているのが経営者です。うまくゆくかどうかは結果論です。うまくゆけば「さすが社長、先見の明がありますね!」とおだてられますし、うまくゆかなければ「だから言ったでしょ、そんなこと無理だって」と非難されます。それでいいのです。人の評価を右顧左眄する必要は全くありません。成功は苦境の入り口ですし、失敗は成功の一里塚なのですから。
それよりも大事なことは、企業は生ものですから、じっとしていると澱んで濁って腐敗し、崩壊してしまいます。
では、正解に近づくすべは何か? 一つは、お客様や関係者、キーマンに会うことです。あって情報交換をすることです。コロナでリアル面談はできなくてもオンラインで面談はできます。二つ目は、3現主義の実践です。売れている現地現場、売れていない現地現場、クレームのあった現地現場に行きヒントを探すのです。現物現品を徹底的に分析し、お客様の求めるニーズを反映し継続的に改善するのです。
三つめは5Sです。整理・整頓・清掃・清潔・しつけ。整理することで不用品がないか見えてきます。整頓することで無駄がないか見えてきます。清掃することで不具合や問題点が見えてきます。清潔にすることで環境維持が可能になります。しつけをすることでルールが明確になりルールを守る社風ができあがります。
四つ目に、ものの見方三原則「多面的にみる」「長期的にみる」「根本的にみる」を実践することです。
五つ目に、わが社の強みを見つけ出すことです。そして、どんな小さなことでも良いので、経営者が強みと思えるものを愚直に疑わず磨き上げることです。
これらの原則は正解に近づく最も早い方法です。急がば回れとはこのことです。経営者が覚悟を決めて「心配するな。任せておけ!」と言い切れるのは、本質は何か、何が大切か(原理原則)を知っているからです。
話は変わりますが、1942年、インドネシア・スラバヤ沖の海戦で、イギリス海軍の軍艦が日本海軍に撃沈されました。作戦に参加していた駆逐艦「雷」の工藤俊作艦長は海に投げ出されたエセクター号の乗組員376名、エンカウンター号乗組員422名を救助しました。雷の甲板は救助された捕虜であふれ、自分たちの食べ物や医療物資や衣服もすべて彼らに提供しました。とても紳士的に対応していましたが、暴動が起きて乗っ取られるリスクもあったでしょう。しかし、工藤艦長は当時の海軍の常識ではなかった行動、つまり救助を決断したのです。そして、イギリスの将校を前にしてこのように英語で演説しました。
「あなた方は日本海軍の名誉ある賓客であり、非常に勇敢に戦った。私は英国海軍を尊敬している。ところが、今回貴国政府が日本に戦争を仕掛けたことはおろかなことである」
翌日、救助されたすべての捕虜は連合国のオランダの病院船に引きわたされました。戦後、この時に救助された捕虜が外交官となり、恩人である工藤俊作氏の消息を探し続けました。消息が分かったときにはすでに鬼籍の人で、墓前に感謝をつたえたそうです。
工藤艦長も軍規に触れることを心配する部下に「心配するな!私に任せておけ!」と胸をドーンとたたいたと思います。