No.1270 ≪祇園祭に見る「継続は力なり」≫-2023.7.19

7月17日は京都・祇園祭のハイライトの始まりを迎えました。17日午前中は夜に行われる神輿渡御の露払いとして八坂神社に向かう神幸祭で山鉾巡行が盛大に行われます。これを「前祭(さきまつり)」といいます。その夜に八坂神社におわす神様は神輿に乗り洛中の四条通りにある「御旅所」に渡御されます。1週間後の24日午前中に神様が八坂神社にお戻りになる還幸祭の山鉾巡行があります。これを「後祭(あとまつり)」といいます。その夜に神様は神輿にのり八坂神社に渡御され神事は締めくくられます。

ご存じのように祇園祭は平安時代の『祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)』という行事が発端です。794年の桓武天皇の平安京遷都以降、全国で疫病が流行し、800年と864年には富士山噴火、827年に京都大地震、841年伊豆地震、850年出羽地震、863年越中越後地震、868年播磨地震、869年三陸沖地震・大津波など悪い出来事が重なりました。
824年に日本中が日照旱魃に襲われた際に、淳和天皇の勅命により弘法大師空海が「神泉苑」の池畔にて祈り、北インドの無熱池の「善女龍王」を勧請したところ、日本国中に雨が降り人民が大いに喜んだそうです。 これ以降、「神泉苑」の池には「善女龍王」がお住みになるといい伝えられ 多くの名僧が祈雨修法を行うようになったそうです。「神泉苑」は桓武天皇により造営され、その広さは南北4町東西2町の規模を有する広大な宴遊池です。
863年に疫病が大流行し、神泉苑で六柱の御霊を鎮めるため、朝廷による御霊会が行われました。
それでも天災地変は続き、疫病が流行したため、それを鎮めるために869年に強い神様であるスサノヲノミコトにお出まし願うために天皇家の庭園である「神泉苑」に当時の国の数を表す66本の矛(剣)を立てて、八坂社にお神輿を送る神事を始めました。
最初は国事行事だったのです。神輿は中御座(なかござ)、東御座(ひがしござ)、西御座(にしござ)の3基で、ご祭神は中御座(なかござ)がスサノオノミコト、東御座(ひがしござ)がクシナダヒメ、西御座(にしござ)が8柱のミコガミでスサノオノミコトご一家になります。

祇園祭の各山鉾で配られる粽(ちまき)には「蘇民将来子孫也」と書かれています。これは「スサノオノミコト(牛頭天王)が汚れた旅人にふんして一夜の宿を求めたときに唯一応じてくれたのが「蘇民将来」という人でした。それで、スサノオノミコトはお礼に「蘇民将来子孫也」というお札を与え、これを玄関に張っておけば家門繁栄、厄除けができるとおっしゃった」という言い伝えからきています。疫病がはやっても「蘇民将来」の一族は難から逃れることができたのです。「蘇民将来子孫也」というお札は伊勢の神宮界隈の家の玄関に掲げられているのをご覧になったことがあると思います。同じ信仰からきています。

皮肉なもので疫病退散の厄払い神事だった祇園御霊会(祇園祭)が疫病(コロナ禍)の時に中止されたことで、鉾町の町衆が悔しがったことは言うまでもありません。それが、完全復活したのが今年の祇園祭です。

「神泉苑」と八坂神社は地下水が龍穴を通じて繋がっているという言い伝えがあり、近年、「神泉苑」の霊水と八坂神社の青龍水を合わせて祇園祭の期間中四条通をお清めするようになりました。真言宗の神泉苑と神道の八坂神社が原点の神仏習合の時代に戻って復活するという意味合いも含めているのではないかと思います。

そして、今年の祇園祭の山鉾巡行の中にひときわ印象深い山がありました。前祭で巡航した「郭巨山(かっきょやま)」です。山鉾は動く美術館と言われるほど工芸の粋を世界中から集め装飾されています。前後左右に豪華なタペストリーや織物が飾られますが、後に飾られる織物は「見送」と呼ばれます。「郭巨山(かっきょやま)」の「見送」に、1979年に漢学者橋本循賦氏が詠まれ、千玄室鵬雲斎大宗匠の揮毫で新調された『郭巨漢詩文刺繍』が、44年ぶりに千玄室鵬雲斎大宗匠の100歳を祈念して登場したのです。
揮毫された漢詩を要約すると
「人の守り行うべき道徳のみなもとは、天即ち自然の真理から出ているもので古の聖人や昔の知識人即ち賢人は、このことを次から次へと伝えてきたものである。道徳の中では親に孝養することが最も大切なことで、人間の行うことはそれぞれにいろいろな生き方、取り方があって途は異なるように見えても結局は孝行ということが一番根本でなければならぬ。そうした孝行の道は人が生まれながらにして見えていることで、これがすなわち自然であり、天である。漢の「郭巨」は家が甚だ貧乏であったが、孝心は厚く、老母に孝養するに心を砕いた。この至誠が天に感じたのか、地中から黄金が現れて郭巨に賜ったというめでたいしるしが誠に不思議で、奇妙なことであった。それは種々なる史書に載っている。かえりみるに、今日、現代の人心を察するのに、日常の守り行うべき道徳が、日に日にすたれ、くずれて行く。まことに嘆かわしいことだ。この郭巨の善行を見聞して、これを慕い行いたいと心を動かさないものがあろうか。動かすであろう。」という内容です。

いつの時代も何が大事か、本質を見極める目を持ちたいものです。