今回は目加田経営事務所主宰の「社長塾」で重視している経営哲学「原因自分論」「先義後利」「三方よし」「不易流行」の内の「不易流行」を取り上げます。
「不易流行」は松尾芭蕉が奥の細道の旅の中で発見した俳諧の本質的な理念ですが、言葉として表現されているのは芭蕉十哲の一人である向井去来がまとめた俳諧理論書「去来抄」に出てくる「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」からきています。
日本俳句研究会のホームページでの解説によると「良い俳句が作りたかったら、まずは普遍的な俳句の基礎をちゃんと学ぼう。でも、時代の変化に沿った新しさも追い求めないと、陳腐でツマラナイ句しか作れなくなるので、気を付けよう」と表現されています。さらに、向井去来は「蕉門に、千歳不易(せんざいふえき)の句、一時流行の句といふあり。是を二つに分けて教え給へる、其の元は一つなり」と述べ、松尾芭蕉師匠は基本の句と流行の句の二つがあると教えているがその根本は一つだと言っています。その一つとは何かといえば、芭蕉十哲の一人である服部土芳は「風雅の誠」であると言い切っています。先ほどの日本俳句研究会のホームページの解説では「風雅の誠」とは「美の本質」を指すと書いてあります。
「不易」と「流行」は別々に存在するのではなく、変化の中に不変なるものを見いだし、不変なるものの中に変化を織り込む行動として根は一つだということです。根本にあるのは風雅の誠」であり、真善美の美です。
「誠」は無心に自然との共生・共鳴を通じて理念や志や真心を追求し、「風雅」はそれをブランドや企業の美意識や文化にまで醸成してゆくことです。つまり、不易と流行という手段を通じて企業の永遠の美意識・ブランドを追求する北極星につながってゆくものだと解釈しています。
これは易経に「陰徳積善の家に余慶あり、不積善の家に余殃あり」という言葉にある様に、経営者が目指す実践行動でもあります。
経営的には経営理念や経営哲学といった「不易」(変えてはいけないもの)とシステムやマーケティングといった「流行」(変えないといけないもの)ととらえ、別の表現を使えば「基本に忠実に、変化に対応する」ことです。
サントリーが2003年に変えてはならないもの(不易)を守りながら、時代とともに変わるもの(流行)を追求し続けることで、両者のバランスを見極める知恵を体系化するための研究機関として「不易流行研究所」を開設されました。
2005年には変えるべきものを創造する「次世代研究所」を開設され、2018年に不易流行研究所と合体して未来社会・自然・人間の共創をテーマに変えるべきものを創造する組織にされました。サントリーといえば、創業者の鳥井信治郎氏の有名な言葉「やってみなはれ」がありますが、これは挑戦・革新をイメージしますが、後継者の佐治敬三氏は「やってみなはれの裏には、やらなあかんことがある」とおっしゃっています。挑戦の裏には責任が、革新の裏には倫理があるという二面性こそが不易流行の思想ではないでしょうか。
そこで、真善美の一角をなす志と徳と才について考えてみたいと思います。
「経営者の器」は「志」と「徳」と「才」の掛け算であり、バランスです。そして優先順位は「志」>「徳」>「才」になります。目に見えない「志」が最も重要です。孟子は論語『公孫中』の中で「志は氣の帥なり、氣は体を統べるものなり。志至れば氣はこれに次ぐ」といい、一番重要視しています。目に見えない「志」が、人間の氣の元になっており、この氣が体をコントロールする。氣は宗気(そうき)、営気(えいき)、衛気(えき)、元気(げんき)の4種類から成り立っており、体をコントロールしているという考え方です。士気が高いとか元氣だとかやる気があるとかいうのは氣を通じてミエルカしているからです。
次に、「徳」ですが、徳と一言で言っても実に様々な徳があります。陰徳・陽徳・明徳・悪徳・高徳・上徳・下徳・天徳・人徳・地徳・・・。徳は修己治人が基本ですから実践が必要です。やらないとわかりません。易経の「陰徳積善余慶、不積善余殃」で「徳」が子孫代々にまで影響することを解いています。いわば、天に貯金することが積善です。目先の欲得につかまっている間は徳は積めません。
そして「才」は外から見えます。才の中にも、商才、文才、英才、異才、鬼才、奇才、偉才と様々な才があります。今のような混迷の時代は情報や知識やノウハウ、すなわち「才」のある人が強いですが、行き過ぎると「策士策に溺れる」「才子才に倒れる」となりかねません。目先の欲得・損得・生産性・勝ち負け・コスパという計量的・物質的な目に見えることばかり追いかけていると、最も重要な目に見えない「心」が遠ざかってしまいます。
経営を始め、あらゆるものの基本となる不易流行を改めてかみしめたいものです。
