No.1223 ≪残る会社、消える会社≫-2022.8.12

「天を楽しみ 命を知る。故に憂えず(楽天知命、故不憂)」とか「天行健なり。君子はもって自ら彊(つと)めて息(や)まず(天行健。君子以自彊不息)」とは易経の本質を表現した言葉の一部です。中国の聖人が宇宙自然の摂理から会得した統計学を伝説上の夏王朝のころより4000年以上の長きにわたって、時代とともに新たな知見を加え現実に合うように真理を説いています。天(宇宙)を陰陽で分析し具体化しています。物は常に陽に向いポジティブで発展的で分裂的に前進するが、陰と出会っては一つに融合し総合し永続性を持つとされています。人の上に立つ人は常に天をモデルに行動せよ。天を楽しみ、この世での使命を知れば何ら憂うることはないという意味です。
元来、西洋的発想は個人主義的で自我が明確なので権利義務の観念に富み、功利的で野心的で自然すら征服する欲が旺盛です。一方、東洋的発想は個人よりも全体調和を優先し、理想を求めて献身的で、直感的、内省的で自然との共存を最優先します。絵画に見てもその特徴が表れており、西洋画は個人の肖像が圧倒的に多いですが、東洋画は風景が主流です。これら両文明が出合い激突して現在に至っています。
地上において私たちは天の意志に対してどのように応えるかが使命になります。常にポジティヴに変化する森羅万象に対してうまく変化対応できないと一瞬で振り落とされてしまいます。一見、おぞましい鬼畜のような姿をした天使かもしれませんし、心癒される天使の姿をした悪魔かもしれません。本質を見抜く目を持たねば存続を許されないのが地上界の掟です。

京都に1690年(元禄2年)創業の「半兵衛麩」という会社があります。
江戸時代は士農工商の身分制度があり、商人は蔑んで見られていました。この風潮に「商人は商いに命を賭ける使命を持っている、商人として誇りを持ち質の高いものを売る。自信の持てないものは造ったり売ってはならない。それは自分だけでなく京の町衆の恥になる。人としての義を先にすれば利益は後からついてくる」、いわゆる「先義後利(せんぎごり)」を説いた石田梅岩(1685-1744)に学び、3代目の三十郎氏は梅岩の弟子の杉浦止斎に師事し、次の商いの「道しるべ」(経営理念)を残されました。
1.ごまかしの生き方をするな 
2.ごまかしをする人と一緒になるな 
3.他人のごまかしを見るな、聞くな、云うな 
4.ごまかした麩を売るな 
5.麩を金儲けの道具にするな 
6.麩を売るのやない、お客様に喜びを買って頂くのや。

1820年ごろ、不景気の上に天候不順で飢饉となり、多くの方が亡くなりました。親類縁者の方も沢山なくなりました。そこで7代目三十郎氏は仏門に入り修行を積みました。さらに悪いことに、めったに枯れない京都の地下水脈がおかしくなり麩屋にとって命の次に大事な井戸水が涸れてしまい麩を造ることができなくなりました。
三十郎氏が井戸を上からじっと見ていると、かすかに水が動いた様子がしたので下にはまだ水があると確信し、井戸屋に井戸掘りを頼んだところ、どこも手が塞がっていて応じてもらえませんでした。そこで三十郎氏は自分で井戸底を掘り直すことを決意しました。「井戸は神聖なところなので常人は入れない」とされていたため断食して座禅を組み、3日後に身を清め白装束で井戸に降り、底を掘り直すと、甲斐あって水が涌き出てきました。
また商いが続けられるようになったのです。時が経ち、三十郎氏が死期を察した時、家族の懇願も聞かず、井戸の横に1枚の筵を敷き断食して座禅を組みました。「この井戸のおかげで麩を再び造ることができた御礼、それにより家族が養えた御礼、これからの子孫の繁栄と安泰を祈願する」と言って、座禅を組んだまま亡くなりました。

1941年(昭和16年)に戦争が始まり食品が全て配給制になり原料の小麦粉が手に入りにくくなり今までのような麩づくりができなくなりました。さらに軍部から鉄・銅を供出命令があり、お国のために麩を造る機械から焼釜まですべて供出しました。戦後闇取引が横行し、同業者で軍部の目をごまかして機械や釜を隠していた人は闇の麩を造り大もうけしました。10代目の四郎之助氏は「ご先祖さんが大事にしていた麩を闇で造り、闇に流すことは申し訳ないからできん」と頑なに商いの心得を守り通しました。昭和28年の小麦統制解除になるまで麩に関して商いの正道を貫き、解除になっても機械や釜がないため全て手鍋で麩を造ったそうです。
 「悪いことをする者がいつまでも続いた試しがない。慌てんでええ。いつかは良うなる」と達観されていました。

野心的に他を征服しても規模を追い求め、道徳よりも機敏に目先の商才に走り理屈っぽく功利打算を最優先し、疲れ果てても一向に頓着せず、闘争に次ぐ闘争に明け暮れる道を選ぶか、融和した天地自然の摂理をわが心とし、永続こそすべてと人を大事にして、道徳倫理をベースに陰徳を積んでより良い会社よりよい社会を目指すのか。残る会社、消える会社。今の時代はそれを求められているように思います。