No.1243 ≪28年前の阪神大震災に学ぶ≫-2023.1.11

1995年1月17日 午前5時47分、阪神大震災発生。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
今年で28年目を迎えます。Wikipediaによると6,400名以上の方がなくなり、約44000名の方が負債されました。全壊家屋10.5万棟、被災家屋約40万棟。阪神高速が横倒しになり、高層ビルが大きく傾斜したり倒壊したり、重みで階が押しつぶされたマンション多数。神戸の長田区は火の海で、一面焼け野原で駅から海が見えました。

2日前の1月15日の成人の日に久しぶりに兵庫県川西の実家に泊まりました。母から「厄年なので厄払いをするよう」言われ、翌日の16日に大阪梅田のお初天神社でお祓いをしていただきました。その後、友人と神戸三宮で会い泊まる約束をしていたのですが、互いの都合が悪くなり別の機会にする事になりました。私は会社の近くの大阪・江坂のホテルに宿泊しました。もし、神戸三宮で泊っていたら私の人生はどのようになっていたか分かりません。

10階に宿泊していた朝方、あまりの衝撃とけたたましい非常ベルの音に目を覚ましました。スイッチを入れても明かりがつきません。うす明かりの室内に目をこらすと、枕元にあったはずのテレビが反対側の壁にあたって落ちており、据付の冷蔵庫は横倒しになっていました。一体何が起こったのかわかりません。館内放送で「地震が発生したので、荷物は持たずに非常階段を使って1階に降りるように」という趣旨の指示がありました。部屋のドアを開けて通路の様子を見ると、非常灯がついており、宿泊者がみな顔を出して様子をうかがっていました。とりあえず、服を着替えて非常階段を使って2階のフロントロビーに降りてくると、不安そうな宿泊客でいっぱいです。地震の規模や震源地や被害状況の情報が何もありません。「ただいま情報収集中です。詳しいことがわかるまでこちらで待機してください」とスタッフ。ロビーから外に出ると、道路は割れたガラスが散乱し、足の踏み場もありませんでした。

その日、始発便で鹿児島出張がありましたので、伊丹空港に間に合うかどうかばかり気にしていました。ホテルのスタッフに部屋に戻りたいと事情を話しますが、危険だからダメだと言います。根気よく説明してスタッフが同行する条件でやっと部屋に戻ることができ、支度を整えチェックアウト。
ホテルを出ると、鉄道が全線不通だとわかり、30分近くかかってやっとタクシーを捕まえ伊丹空港に向かいました。運転手さんに状況を聞くと「神戸で地震があったみたいですね。なんか阪神高速が横倒しになっているみたいですよ。けが人はいないそうです」とのこと。
阪神高速が横倒し? けが人なし? 疑問に思いながら、やっとの思いで伊丹空港に着き、テレビを見ると神戸の街が燃えているではありませんか。相当な地震が起きた事だけは分かりました。この時の死者は3人で不幸中の幸いだったなと思いながら鹿児島につくと、死者は30人になっていました。鹿児島ではお客様から地震の話題すら出てきません。現地現場から離れれば離れるほど関心が薄れるものだと痛感しました。

仕事を終えて伊丹空港につくと死者は3000人に膨らんでいました。鉄道は全て運休、高速道路は全面通行止め。伊丹空港から大阪駅まで臨時バスが出ていました。やっとの思いで大阪駅につくとタクシーを待つ長蛇の列です。するとタクシー運転手が「(普段なら1000円程度でゆける)〇〇方面 1人5000円、4名相乗り」の条件で客引きをしていました。足元を見た商売をしていたこのタクシー会社は1ヶ月もしない間につぶれたそうです。

翌日(1月18日)、会社にゆくと、交通手段が途絶している中で通勤してきた社員で手分けして、社員の安否確認を行いました。大きな被害がなく全員無事でした。次は、お客様の安否確認です。こちらは難航しました。ならば動いている交通手段を使って直接訪問することにしました。あるお客様は地震で壊れた社屋の駐車場でドラム缶に薪をくべて暖を取っておられました。挨拶もそこそこに、1月17日の朝に何が起きたか、その時どうしたのかを熱心に何度も話してくださいました。話すことで自分を取り戻しておられるのだと思いじっと聞いていました。次のお客様もその次のお客様も熱心に話してくださいました。

ライフラインが壊滅して店はどこも開いていません。ひときわ寒かったあの時、あたたかい「おでん」を売るライトバンがありました。値段をみて驚きました。ウィンナー1本5000円、大根1切1000円、たこやき6個2000円。デフレの中でのハイパーインフレです。それでも買えるだけましです。売切れれば買いたくても買えないのですから。

阪神大震災は「想像を絶する大惨事がある日突然に起きる」こと、私たちは「大惨事を乗り越える知恵を持っている」ことを気づかせてくれました。何があっても乗り越えられるポジティブな精神を持つことがいかに大事かを教えてくれました。
ビジネスでは電話が不通で連絡が取れない不安を解消すべくPHS、携帯電話が爆発的に普及し、今のスマホ社会に繋がっています。Windows95の発売とともにインターネット社会が普及したのも1995年です。ネット社会、ネット経済を作り上げました。
NPOやボランティア組織が誕生し、そこに多くの若者が参加していったことがいまのSDGS社会を支えています。ライフラインのストレス耐性も随分強化されました。

この時の改善が、その後に起きた大きな大惨事をミニマム化したと思います。2001年9月11日「NY世界同時多発テロ」、2008年9月8日「リーマンブラザーズショック」、2011年3月11日「東日本大震災」、2019年12月30日「新型肺炎コロナパンデミック」、2022年2月24日「ロシアによるウクライナ侵攻」。
大惨事を経て社会は確実に進化します。一時的に深刻なダメージはあってもそれを乗り越える智慧が働き進化するのです。
経営者にとって、不安を放置すると不安が不安を呼び精神が不安定になるリスクが高まります。不安をポジティブに予知能力ととらえ、BCPのように文字に書き出すことによってアイデアが生まれ、改善が進み、先手を打つ事で解消できます。