No.1200 ≪未曽有の危機からの帰還≫-2022.2.16

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経営者人生で最大の危機に直面した時、次の5つの事例から学んで実行してみませんか?

その1)ローヤル(現イエローハット)創業者の鍵山秀三郎氏は、1970年代に急成長していたショッピングセンターへの取引を拡大する中で考え方に違和感を感じ、中でも売上の6割を占める大手量販店の力にものを言わせた半ば脅しともとれる強引なやり方に対し、これでは社員の心が荒んでしまうと判断し取引を中止されました。ショッピングセンター市場からも撤退されたのです。そのきっかけは、寒さの厳しい冬のある日、キャンペーン特売に派遣された社員がストーブもない屋外で凍えながら営業している姿をみて、せめて屋内でやらせてほしいと店長に懇願するも拒絶され人間的な温かみを感じられなかったからです。社員の心が荒まないようにいつも心を砕いていた鍵山氏は一大決心して、この重要顧客との取引をやめたのです。売上高の6割を占める会社の取引から撤退するのは容易なことではありません。世間では「あの会社から切られたら倒産する」とうわさされたそうです。金融機関には頭を下げっぱなしで取引先からも「払ってもらえますか?」と念押しされるようになりました。それでも皆が2倍3倍の力を発揮して「イエローハット」を開店し、フランチャイズ展開され現在に至ります。1997年時点ではイエローハットはFCでは当たり前のロイヤリティがなく、見積書を出すこともないそうです。新規開拓することもなく引合で成り立っているといいます。福沢諭吉は人は「鄙事多能」でないといけないといい、鍵山秀三郎氏は「凡事徹底」が大事と言っておられます。

その2)松下幸之助氏が創業してしばらく後、二股ソケットや自転車ライトのヒットを連発して業容も拡大し、社名を松下電器産業に変更し、門真に本社工場を建設しました。1929年5月の事です。完成後まもなく世界恐慌が1929年10月24日に発生し、日本経済は未曽有の不況に陥りました。社会は混乱し、工場閉鎖や首切りが当たり前になり、街には失業者があふれ、社会不安が一挙に高まりました。松下電器も売り上げがなくなり、倉庫は在庫でいっぱいになりました。そのころ松下幸之助氏は病気静養中でした。幹部から「従業員を半減し、この窮状を打開しては」とリストラの提案がありました。
それを聞いて松下幸之助氏は「生産は半減するが、従業員は解雇してはならない。給与も全額支給する。工場は半日勤務にし、店員は休日を返上し、在庫販売に全力を傾注してほしい」と指示したのです。その後、皆の努力もあり、危機を乗り切りました。不況対策として日本で初めて初荷セールを行ったのも松下電器でした。

その3)時は1971年。自殺した夫の跡を継いで地方紙ワシントンポストの社長になったキャサリン・グラハム夫人は、重大な決断を迫られていました。政府がベトナム戦争について嘘をついていることを明らかにしたペンタゴン文書の報道で、ニューヨークタイムスは暴露記事を掲載し、裁判所より差し止め命令を受けていました。ワシントンポストも文書を入手しており、掲載するとスパイ法に引っ掛かり会社はつぶれるかもしれないという瀬戸際の時、グラハム夫人は「存続のために会社の魂を売るぐらいなら存続しないほうがましだ」と決断し掲載すると、大スキャンダルになりました。裁判所からは最終的には掲載正当と認められ危機を脱しました。その後、2人の記者が粘り強い取材によって裏を取ったウォーターゲート事件の記事を掲載し、一気にワシントンポストの評価が高まり上場を果たしました。

その4)最近発刊されたビジョナリーカンパニーシリーズの著者ジム・コリンズ&ビル・ラジアー氏の「ビジョナリーカンパニーZERO」(日経BP刊)にアメリカ最大の金融スキャンダルで集団訴訟が発生した大銀行ウェルズ・ファーゴについての面白いくだりがあります。(P62)原文を引用します。
「クーリーとライヒャルトの時代には真に偉大な企業だったウェルズ・ファーゴが、なぜこんなことになったのか。その一因は「攻め」の営業文化に転換し、それと同時に社員にコアバリューに反する行動を促すインセンティブ制度を取り入れたことだ。(略)地域の銀行であったウェルズ・ファーゴの営業文化と業績管理システムがゆがめられ、厳しい営業管理が行われるようになった。この結果、社員に顧客の望まない、不要なプロダクトを販売し、時には顧客が承認していない講座を開くような圧力がかかるようになった」

その5)Google「アリストテレス」チームが生産性の高いプロジェクトチームの共通項(KFS)を突き止め2015年に公開した内容を見ると、一番重要なことは「心理的安全性」であると言っています。心理的安全性とは誰もが安心してリスクを冒し、意見を述べ、質問できるような環境。メンバーが危機に陥ってもリーダーが「上空援護」を担い、安全圏を作り出すことで、リスクを冒してチャレンジできることだそうです。

どのような会社も創業以来一度も危機を迎えたことがない会社など存在しません。多かれ少なかれ会社存亡の危機を数度迎えているものです。その原因は実に様々で、身から出た錆もあれば、どうしようもない不可抗力の外因による場合もあります。しかし、その時にどうふるまい、どう判断するかで命運が分かれます。公的であれ私的であれ経済的尺度で判断した場合は大抵失敗しています。なぜでしょうか? 人がついてこないからです。中でも優秀な人ほど離れてゆくために危機を突破しても危機後の経営ができないのです。目立たなくとも才徳兼備の人材がいれば企業は存続できます。それがトップなら申し分ありませんが、トップでなくとも社員にいればトップがミッションを任せる度量があれば会社は存続できます。いくら経済的損害が大きくとも「人」さえいれば乗り越えられます。「人」こそすべてです。「人」が去る企業は何かが間違っているのです。