「急がば回れ」ということわざは誰もがご存じでしょう。このことわざが生まれたのは平安時代。歌人(平安時代の源俊頼とも、室町時代の連歌師宗長ともいわれています)が詠んだ和歌「武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも急がばまわれ瀬田の長橋」に由来するそうです。意味は「草津の矢橋港の渡し船は対岸に着くのは早いかもしれないけれど、比叡おろしに邪魔されて何が起きるかわからない危険な航路なので、急ぐのであれば距離は長くても陸路を歩いて瀬田川にかかる唐橋を渡ったほうが無難だ」という意味です。江戸時代に京都の僧侶安楽庵策伝が各地の流行している笑い話をまとめた本『醒睡笑』(せいすいしょう)の中に掲載したのを機に広まったそうです。
旅人が江戸から京都に上る時、陸路で琵琶湖畔をグルーっと回り瀬田の唐橋を渡るか、草津の矢橋港から大津の対岸に渡し船で行くかで悩んだそうです。陸路を行くと約13kmで3~4時間かかります。船で行くと直線距離で約3kmですので約1~2時間。どうみても渡し船の方が早いと誰もが思います。ところが冬から春にかけては比叡おろしが吹き荒れて船が転覆したり、前に進まなかったりと大変だったそうです。悪戦苦闘して危険な水路よりは安全な陸路をたとえ時間がかかっても歩いた方が良いということからこの和歌が詠まれたのでしょう。
「急がば回れ」は本当かどうかを確かめた方がいました。京都橘大学の池田修教授とその教え子です。詳しくはWithnewsというホームページで「急がば回れ」と検索してください。
結論から行くと、実験は夏に行われたため、陸路を炎天下で13kmも歩くには大変な疲労困憊で4時間もかかり、水路を当時の船に近いカヌーで渡ったところとても心地よい風に吹かれ1時間ほどの快適な旅になりました。
実験の結果は、参加者は急がば回れではなく「急がば近道」だったそうです。但し、冬から春の季節はまだ実験していないので実証できていない。草津の矢橋港の貸ボート屋さんは、危険だし寒いし向かい風で進まないので「やめた方が良い」そうです。
話は変わりますが、20年ほど前、初めて中国・上海に旅行した時、外国人専用レーンの入管ゲートの前には長い行列ができていました。私が並んでいるゲートは特に流れが悪く一向に進まないので、すいすいと進んでいる列に移動しました。初めは進んでいたのですが、動きが止まってしまいました。元居た列を見ると急にすいすいと流れだしたので元の列に戻りました。また、ぴたっと止まってしまいました。先ほどまで並んでいた列が流れが良くなりましたが、列を移らずに辛抱強く並びました。すると、流れがとてもよくなり、あっという間にゲートを通過できました。この時に「急がば回れ」ということわざを思い出しました。こざかしく表面的な目先の動きだけで判断し行動したのが間違いでした。
後で分かったことですが、中国が警戒している国のパスポートを持った人には念入りに調べていたのです。流れが止まる理由がわかってからは、並んでいる人のパスポートの色をみて並びましたので比較的スムーズに通過することができるようになりました。
また、話は変わりますが、電車通勤している時のことです。朝夕のラッシュ時には多くの通勤客が駅の構内を行きかいます。だれもが少しでも近道をしようと角を回る時に壁に近いルートを選択します。中でも右左折する時は対向者が見えないのでぶつかりそうになります。皆急いでおり最短距離を選びますのですごく混みますし、殺気立ってムッとします。早朝からあまり良い気分にはなりません。それに階段やエスカレーターに乗る時は長蛇の列で渋滞してしまいます。
そこで、できるだけ壁から遠いルートをとることにしました。対向者の状況もよく見えますのでぶつかることもなく人をうまくかわすのも簡単です。すると、同じA点からB点に移動する時、歩数は若干増えるのですが時間は短縮しているのです。しかも、ぶつかることがないので気分も上々ですし、優越感にも浸れます。朝から歩数が増えて健康にもよいです。良いことづくめです。「急がば回れ」とはこのことだなと。
株式投資の有名な格言に「人の行く裏に道あり花の山」があります。群集心理で動くよりも人とは反対のことをやった方がうまくいくという意味だそうです。大勢の人がゆく道はリスクは少ないし、皆がやっているという安心感があります。しかし、人のやらないことをやらないと将来につながる道は開けません。この道でよいのだろうかと不安になりますし、孤独になります。その不安、その孤独が「正しい道」を選択していると確信しています。
私の尊敬する鍵山秀三郎師は「大きな努力で小さな成果を」「益はなくとも意味がある」とおっしゃいます。「凡事徹底」ともおっしゃいます。「一つ拾えば一つきれいになる」ともおっしゃいます。多くの人は小さな努力で大きな成果を上げようとして小さなこと、利益のないことをおろそかにしがちですが、小さなことが出来なくて大きなことはできません。心してゆきたいものです。