6月23日は日本の身代わりともいえる沖縄地上戦が終結した「慰霊の日」です。沖縄県の資料によると、沖縄戦で亡くなった方は米国人を含め200,656人。内沖縄県人が122,228人で、ほとんどが住民です。これは当時の沖縄県人口の約2割に相当します。心安らかに御魂に哀悼の意をささげたいと思います。
さて、コロナ禍は大きな流れでみれば世界的に終息工程に入りました。全世界76億人が等しく享受できるのはまだ先です、ワクチン開発&供給能力の目途が立ったことと接種体制が整ったからです。
世界のワクチン開発は従来の不活化タイプと画期的な遺伝情報タイプに分かれ、不活化タイプは①不活化ワクチン、②組換えタンパクワクチン、③ペプチドワクチン等が中心で、遺伝情報タイプは④mRNAワクチン、⑤DNAワクチン、⑥ウイルスベクターワクチン等があります。
現在接種が行われているワクチンはmRNAタイプのファイザー社、モデルナ社、アストラゼネカ社の3社が主流となっています。日本国内でも開発が進み、4チームの開発が最終段階に近づいており、2021年末の実用化見込みの「塩野義/感染研」をはじめ、「第一製薬/東大」「アンジェス/阪大/タカラバイオ」「KMバイオロジクス/東大/感染研/基盤研」が後を追っています。国内生産が可能になれば輸入依存のサプライチェーンから脱却し安全保障体制は完成することになります。
ワクチンの接種体制では、菅総理の「1日100万回」目標はすでに達成できていると思います。日本人の改善能力はこれからが本番なのでその気になれば1日200万回が標準速度となるでしょう。そうすると、国内生産が可能になる2022年には、いかなるウイルス感染症が発生しても、開発に2週間、生産体制の整備に1か月、ワクチン接種に2か月で、大目に見ても半年で終息工程に入る目処が立ったということです。
問題はこれからです。いわゆる「大衆心理」という気持ちの問題です。これは政治問題でもあり、経営問題でもあります。最新技術をベースにした科学的アプローチは整備されていても心理的アプローチはどうもお粗末で支離滅裂のカオス状態だからです。トップ陣が支離滅裂なので国民は頭でわかっていても心が納得していない。
人は納得していない間は行動しません。面従腹背状態になります。
人が動く原理には3つのアプローチがあります。1つは権力にものを言わせて有無を言わさず強制するアプローチ。2つは見返りや褒美を与えるアプローチ。3つは私たちが経営支援でよく使う共鳴によるアプローチ、いわゆる「ロジカルシンキング」です。
欧米先進国は戒厳令という「強制アプローチ」と「褒美アプローチ」を大胆に使っています。日本では法的に「強制アプローチ」はできませんので、「褒美アプローチ」と「共鳴アプローチ」です。
ロジカルシンキングには心の理解を促進する「動機づけ」と頭の理解を促進する「理由付け」があります。
心の理解を促進する「動機づけ」には、話を心から真剣に聞く「傾聴」、相手の調子に合わせて親和性を高める「ペーシング」、相手の言葉を復唱して相手の承認と相互理解を深める「復唱」、 自分で考えさせて意見を引き出す「質問」、 相手を攻撃せずに考えを伝える「柔らかな主張」があります。それぞれ洗練された古典的手法です。頭の理解を促進する「理由付け」には「ロジカルシンキング」の仮説検証、ゼロベース思考、演繹法や帰納法といった思考技術と、MECEやグラフィックスといった構造化技術があります。
このアプローチをコロナ禍で政治家も行政もあまり使っていないので、私たちはマスコミの不安をあおる報道に半ば洗脳されている状態にあります。そこで、アフターコロナに向けた成否を占う象徴ともいえる東京五輪の対応のまずさに苛立ちを隠せません。政府部内には心理の専門家やマーケティングの専門家、話し方の専門家はいないのでしょうか。
東京五輪は菅総理がG7で世界のトップにお願いした段階で後戻りは不可能です。ではどう開催するかという問題になると有観客か無観客かを決めねばなりません。6月23日の段階でまだ決まっていません。現場ではチケットの取り扱いも運営の方法も移動の方法も何も決められません。ワクチン接種と同じ状況が再現されています。トップ不在の最たる現象が起きているように見えます。
私個人の思いとしては東京五輪中止派でしたが、一国の総理が世界の檜舞台で開催決行を決めた以上国民として同意せざるを得ません。ならば、無観客開催しかないと思っています。
世界中から来日される五輪関係者約10万人(組織委員会では最低限に絞ったそうですが)の多様な価値観をもった外国人を、日本の法律下でコントロールできるのか。日本の水際対策はザル状態です。国会で明らかになったように五輪関係者は入国に際し特例措置で隔離不要の人が大半です。先日のウガンダ選手団で感染者が出て、感染者以外は濃厚接触者調査もせずにフリーパスでキャンプ地の大阪に移動し、大阪で保健所が調査したところ8名が濃厚接触者に認定されました。本来は成田で止めるべきでした。
ごく一例の対応をみても無管理状態です。まだ選手なら出場権剥奪という武器を使って理性的なコントロールができますが、報道関係者や五輪貴族と呼ばれる特権階級をコントロールできるのか疑問です。現場にはなんら武器(法的警察的強制力)もなく、あるのは異文化の人々をおもてなしする和の心だけです。悲劇が起きないことを祈るしかありません。
そこに有観客にする、それも国内の事業者に要請している人数基準を適用しない、酒類の提供も可能らしい。
これはなんら罪を犯していない善良な飲食事業者に、わずかな補償をしているとはいえ、営業自粛、時短営業、酒類の提供禁止といった営業の自由を奪うだけでなく妨害まで加えておいて、さらに東京五輪は制限なしというダブルスタンダードまで加えるという矛盾をどう納得せよというのでしょうか。飲食事業者の周辺には無数の事業者がかかわっていますが、何ら補償はありません。言葉は「要請」や「お願い」ですが、ほとんど古典的な「権力にものを言わせて強制するアプローチ」「自粛警察」「同調圧力」と同じです。この鬱屈し蓄積された不満は次の政情不安に直結します。コロナ戦時下とはいえ、近代的な「共鳴による人を動かすアプローチ」は微塵もありません。
有観客にした場合、どの程度の人が動くか調べてみました。観客数を1万人、パラリンピックはオリンピックの5割とします。競技会場は全国に43会場×平均開催期間7日で450万人になります。これだけの人が全国から移動するのです。
五輪観戦チケット収入は予算書では約900億円です。900億円が高いか安いか。コロナ禍に使われている予算は20兆円です。衆参国会議員の歳費は年間約291億円です。政党交付金は約317億円です。
「国民の皆さん、東京五輪は無観客にします。その損失は国会議員の歳費と政党交付金を1年間ゼロにします。それでも不足する約300億円を申し訳ありませんが、国民の皆さんも一人250円負担していただけないでしょうか」といえば済む話だと思います。これによって救える命が無数にあります。トップの決断で救えます。トップの決断が明るい未来が開けます。皆さんはどう思われますか?