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7月6日のテレビ報道でご存じのようにスリランカ(旧セイロン)は国家の破産宣言を行いました。3月時点でインフレ率は18%以上で、中でも食品は45~95%、医薬品、エネルギー関連はほとんどが輸入に頼っている為外貨不足で輸入ができていません。日本外務省は5月20日に「人道状況の悪化を受けた緊急無償資金協力」を決定しUNICEFやWFPを通じて300万$(約4億円)を支援しています。数日間以上及ぶガソリンを求める長蛇の車列の映像と待っている車中で亡くなったという痛ましい報道もありました。スリランカのDGP(2019年)は840億$(約11兆円)、人口2140万人、主要産業は観光と農業、特にセイロン紅茶で有名な紅茶の世界的産地です。スリランカは大の親日国家で、このスリランカの存在無くして今の日本はないのです。名古屋入国管理事務所で亡くなったウイシュマさんもスリランカ人です。
心ある経営者の皆さんはご存じでしょうが、スリランカは日本が戦後主権回復する時に大きな支援をいただいており片時も足を向けて寝ることができない大恩人の国です。
そうです、1951年9月4日〜8日の5日間に及ぶサンフランシスコ平和条約会議の時です。英米主導で開催されたサンフランシスコ平和条約会議には日本と戦勝国51か国が招待され戦争状態にある日本との関係を終結させるために領土及び賠償権請求と再軍備についての取り決めが行われた重要な会議でした。前年にイギリス連邦外相会議(イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、インド、セイロン:現スリランカ、パキスタン)で東西陣営と立場を異にするイギリス連邦の国々が極東における日本の役割を話し合い、その延長線上にイギリスが素案を作成しました。外相会議でセイロン:現スリランカの役割は大きく素案を主導したのではないかと推測されます。イギリスはアメリカに提案し了承を得て、英米主催のサンフランシスコ平和条約会議が企画され関係国に招待状が発送されました。この背景には戦後米ソ対立が激化し1950年の朝鮮戦争の勃発で一気に世界が不安定化しました。日本も警察予備隊を創設された時です。このような世界情勢を背景にサンフランシスコ平和会議が開催されたのです。この時中国は国共内戦、韓国は朝鮮戦争を理由に招待されませんでした。
英米案は日本を極東における共産勢力の防波堤とするべく賠償金請求の放棄と個々の領土についての帰属とすべての外国軍隊の撤退を中心とすることが論点でした。
会議が始まり、ソ連のグロムイコ全権大使は英米主導の会議のあり方に対して異議を唱え会議の進行規則を小委員会を設置して決めるよう提案し会議を混乱させようとしました。それに対して敢然と反駁したのがセイロン現スリランカ代表のジュニアス・リチャード・ジャヤワルダナ全権大使(当時大蔵大臣)でした。
「51箇国も集った大会議では、何か提案を行おうとするものは、書面でこれを会議に配布するのが例である。現にソ連及びポーランド全権もこれを認めている。しかるに、米英は議事規則案を提案しているのに対して、ソ連及びポーランドは小委員会の設置を提案しているにすぎない。しかもソ連全権は全参加国51箇国から成る委員会を任命してもよいとしているが、それならば、この議席で米英提案を採決すればよいではないか。さきにグロムイコ全権は、インド、ビルマの不参加を引用して、条約起草に関心をもつすべての国の手で議事を決めるべきであると述べたが、ソ連は数年前米英ソ華四国で起草すべきことを主張したではないか。グロムイコ全権が今や前よりも合理的な見解をもつに至ったことを欣快とする。小国セイロンもこの会議で発言できる。かつてソ連が四大国起草方式を主張してセイロンのみならずインド、ビルマ、インドネシア、フィリピンを除外しようとしたとき、自分は非常な不快を感じたものである。」見事です。これによって会議は要諦通り進行しました。
そして9月5日。各国の意見表明があり英米案にもっとも強硬に反対したのがソ連のグロムイコ全権大使です。ポーランド、チェコも反対しました。賠償金請求を放棄するのはおかしいというのです。また領土の取り決めに対しても異論を呈しました。
翌日9月6日にセイロン現スリランカのJ・R・ジャヤワルダナ全権大使はソ連の提案に対して一つ一つ反駁を加え、賠償権の放棄を宣言し日本の独立を支援してくださいました。
その時の有名な言葉が、ブッダの言葉「Hatred ceases not by hatred but by love (人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる。人は憎しみによっては憎しみを越えられない)」でした。この演説は多くの感動と支持を得たのです。
日本の吉田茂全権大使の発言が終った後で、アメリカのアチソン議長は、休会中にセイロン、キューバ、ソ連の三全権から発言要求があった旨を紹介し、ルールに従って発言を許しました。
まず、セイロン全権は、「今後の発言は三十分以内」とし、「会議の議事は午後十一時に完結すること」の動議を提出し、キューバ全権はその動議を支持しました。
次いでソ連全権は、「なぜ議長は条約の修正に関するソ連の提案を取り上げないか」と議長に対して質問したが、アチソン議長は、グロムイコの言葉を引用し「今までのソ連の発言は見解の表明であって動議として提出されたものでないから、その質問に答えることは出来ない」と突っ離しました。次いで、 セイロンの動議を表決を問い、41対1で支持され、サンフランシスコ平和条約は日本と各国間の締結が行われ日本は国際社会に復帰する、つまり、主権を回復し独立したのです。その時のセイロン現スリランカのJRジャヤワルダナ全権大使の役割はまことに大きかったのです。
そのスリランカが国家の破産宣言を行うところまで窮地に陥っています。日本がもし51か国から賠償金を請求されていたなら果たして今の発展があったかどうか、その時に国家破産しているのではないかと思います。それを思うと何か行動しなければならないのではないでしょうか?