No.1151 ≪教え子皆吾が師なり≫-2020.02.26

私の尊敬する師匠の一人、作家の神渡良平先生が3月11日に新刊を出されます。「人を育てる道~伝説の教師徳永康起の生き方~」(致知出版社刊)で、徳永康起先生の生涯を描いておられます。
徳永先生は1912年7月熊本県に生まれ、1979年67歳で生涯を終えられています。熊本師範学校を卒業して初めての任地を最も辺境な分校を希望され、教師生活を始められました。昭和27年に校長にまでなられたのですが、教育の本質は一人一人の子供と向き合い光合うことだと思い、校長を辞任して一教員としての道を生涯貫かれました。実に様々なエピソードをお持ちの方で、「教え子皆吾が師なり」が座右の銘で、同名の本も出版されています。ご興味のある方は神渡良平先生の書かれた「徳永康起先生の生涯」をご一読下さい。今こそこのような先生が必要だと痛感します。

本の中から、エピソードの一説をご紹介します。
「徳永先生は一人一人の生徒が傷つかないようにとても心を配りました。そのことを示す好例のエピソードがあります。あるとき、学校で工作用の切り出しナイフが必要になりました。みんな親にお願いして買ってもらいました。ところがA君はそれを親に頼むことができませんでした。決して貧しい家庭ではなかったのですが、頭の出来が良かった兄さんと比べられてA君は「なんとお前はぼんくらなんだ」と叱られてばかりいました。
学校でお金がいる時、長男が頼むと快く出してくれるのに、A君が頼むと渋い顔をされます。だから言い出すことができず、おとなしい同級生のナイフを盗みました。ところが、その子が、「ナイフがなくなった」と騒ぎ出し、当然クラスの誰かに嫌疑がかかりました。これはまずいと思った徳永先生は昼休みになると「みんな外で遊んで来い」と教室の外に出し、疑わしい生徒の机に行き「彼でなければいいが・・」と願いながら、机のフタを開けました。すると刃はキラキラ光って新品なのにさやは削って墨を塗り古く見せようとしたナイフが出てきました。
徳永先生はA君の家庭環境をよく知っていたので親に頼めなかったA君の事情を思い、かわいそうになりました。
そこですぐさま自転車で学校の近くの文具店に行き同じ切り出しナイフを買って帰るとなくなったと騒いでいた生徒の本の間に挟み机の一番奥に入れました。
昼休みが終わってみんなが校庭から帰ると、徳永先生はなくなったと騒いでいた生徒に言いました。
「君は慌て者だから、良く調べてみろ。なくなったといわれたらほかの者は気持ちが悪いからね」
するとその子は机の奥まで探し出し、教科書の間に挟まっていたナイフを見つけ「あった」と大喜びし、みんなにすまなかったと詫びました。徳永先生が盗んだ子をちらっと見ると涙をいっぱい貯めて徳永先生を見つめていました。先生は一言もその子を責めませんでした。」

この話には後日談があります。A君が成長して戦闘機のパイロットになり、出撃の前に徳永先生に手紙を出しました。本から引用します。
「昭和19年5月11日ニューギニア戦線に出撃したA君は、明日いよいよ米軍と空中戦という時、もはや生きて帰れないと思い、徳永先生に手紙を書きました。
『先生はあの時、僕をかばって許してくださいました。本当にありがとうございました。死に臨むにあたって、先生に繰り返しありがとうございましたとお礼を申し上げます』 そして最後に書き添えました。
『先生、僕のような子供がいたら、どうぞ助けてやってください。ほんとうにありがとうございましたさようなら』
そしてA君はニューギニアのホーレンジャー沖の海戦で米軍の戦艦に体当たりして散華したのです。」

一人一人の子供と向き合うことは大変なことですが、それを使命として毎日生徒の日記にコメントを丁寧に書いておられたそうです。その子を本当によく見ていないとかけないコメントばかりだったそうです。
わが身を振り返り、そこまでできているか日々反省の毎日です。