最近、私たちの国、日本で起きていることを知るにつけ、決断能力が劣化しているのではないかと危惧することが多々あります。物事にはすべてメリット、デメリットがあり、リスクとベネフィットがあります。決断能力とは、先が見通せない中で可能な限り科学的に情報収集し最も利益(目的)に沿った判断をする能力です。
次の2つの事件に対して皆さんはどう思われますか?
1.2020年11月24日、中国王毅外相が来日し、日中外相会談後の共同記者発表で、茂出木外相が尖閣諸島への中国船の侵入に苦情を表明したことを受けて「日本の漁船が絶えず釣魚島(尖閣諸島の中国名)周辺の敏感な水域に入っている」「(日本側が)事態を複雑にする行動を避けるべきだ」と主張しました。つまり、中国の領土である尖閣諸島に正体不明の日本漁船が侵入するのはけしからん、何とかしろと主張し、それに対して茂木外相はにこやかに聞き流し反論することなく「謝謝」と言って終了した。翌日、王毅外相は菅義偉首相との会談後に尖閣周辺の日本船を「偽装の漁船」とも表現しました。反論したのは26日。時すでに遅し。
2.2022年8月4日〜8日にわたり中国軍が台湾を完全包囲し軍事演習を行った際、8月5日に中国軍のミサイル5発が日本の波照間島付近のEEZ海域に着弾しました。それに対して日本は厳重抗議したというが、中国は当該海域を「日本のEEZであるとの主張を受け入れない」(華春瑩・外交部報道局長)と表明して、台湾問題に口出しすべきでないとくぎを刺しました。日本の国防緊急事態対応の要である国家安全保障会議(NSC)が開催されることはなかった。つまり、ミサイル5発が着弾したことは緊急事態ではないという認識です。
話題を変えます。
日本のコロナ検査数が2020年に1.4万件/日の時、韓国では24万件/日でした。人口比でみれば日本は韓国の1/40しかないと批判されました。その後、関係者の頑張りにより2021年に6.4万件/日、2022年に16万件/日と増加しました。そして、死者数も感染者数も少なく世界有数の優秀なコロナ対策国でしたが、今は感染者数が世界トップになっています。なぜなら、世界では全数検査をやめたり、ルールを変更したり、感染者の実態把握すら公表しなくなっているからです。
コロナ発生当時は得体のしれない未知の感染症を警戒して2類相当どころか1類相当並みに厳しい感染症区分に設定しましたが、いまだにそのままです。最近やっと5類相当に変更する議論が起き始めたところです。欧米ではとっくに普通のインフルエンザ並みに緩和されているというのに。
経済が大事か、命が大事か。二者択一で言えば、命が大事となるでしょうが、実際は命も経済も大事です。私は2021年9月19日のブログで「(岸田内閣になってから)たとえ第6波がきてもこれらの宣言や措置が再度発令されることが無い」と発言しましたが、方向性は間違っていなかったようです。なぜ総理は、「医療体制の整備も整い重症化リスクも減少した。コロナによる死者が発生するかもしれないが、普通の感染症として共存し、経済の復興に舵を切る」と明確にメッセージを発しないのでしょうか?
国産初のコロナ治療薬として塩野義製薬の「ゾコーバ」がありますが、特別承認を期待していましたが継続審議となり先送りされてしまいました。塩野義製薬は中国での認可を受ける準備を進めていると報道されています。中国で認証されれば日本でも認証するのでしょうか? ワクチンのようにアメリカの判断を金科玉条のごとく追随するのでしょうか。もし失敗した時アメリカは責任を取ってくれると思っているのでしょうか? この繰り返しを戦後ずっとやってきました。誰も責任を取らない事なかれ主義や前例踏襲主義、事前相談で辞退させて、なかったことにするやり方。一体いつからこのような国になったのかと思います。すべての薬剤には副作用がありますし、時間の経過とともに体内で起きる変化もあるでしょうからリスクは常に存在しています。しかし、それによって恩恵を受ける多くの人が多いことも事実です。議論を尽くしても最後に議決するのはトップです。薬害エイズ問題も経験しているので躊躇することもわかりますが、「私が決めました」と勇気をもって言ってくださる人を信頼したいと思います。
これこそが「決断能力」です。立法府の国会では多数決が重要な役割を果たしていますが、行政府や企業では、重要なことは多数決ではなく議論を尽くしたうえでトップが独裁的に最終決定すべきだと思っています。
戦前はそれを天皇に求め「ご聖断」と言って利用したのでしょうが、戦後はそれぞれのトップがそれをやらねばなりません。国なら総理が、会社なら社長がやらねばなりません。
何事もリスクもありますがメリットもあります。賛成もあれば反対もあります。リスクを意識すれば腰が引けますがそれを上回るメリットがあれば勇気をもって一刻も早く決断すべきです。自分で決めることを放棄することは未来を放棄することと同じで著しく無責任です。責任を取りたくない、批判されたくない、責任追及されたくない、波風を立てたくないと思うなら早くその立場から降りたほうが良いです。
また話題が変わります。
善良な国民には、官僚や公僕のパワーハラスメントがひどいものです。ある顧問先で、サービス残業が問題となり労働基準監督署の係官の立ち入りを受けました。
彼は始業前の門に立ち、時計をにらみながら写真を撮っています。早く出勤してお茶を飲みながら新聞を読もうとしている社員もいれば、着替えに時間がかかるので早めに来る人もいます。しかし、係官はこれも会社の圧力によるサービス残業だと決めつけて、是正勧告を行いました。結局数千万円のペナルティを受けました。その後も彼は始業前の門に立ち時計とカメラを持ってチェックしています。あまりにひどいので労働監督署長に苦情を訴えるとその署長のコメントに驚きました。「実は私たちも彼のやりすぎには困っているのです」
結局翌年に係官は人事異動で他の拠点に移られたのでほっとしました。
また、私が自宅を購入する時、販売会社の方に子供の学区内かどうか確認したところ、問題ないといわれ、購入し入居しました。すると教育委員会から校区外だから本来の学校に転校するよう命令書が届きました。転校先の中学校は荒れに荒れ不良や非行が横行し深刻ないじめがあり社会問題となっていました。もちろん私が購入前に確認しなかったのが最大のミスです。しかし、転校生へのいじめは深刻なものがありましたのですがる思いで、妻と教育委員会に事情を説明しましたがルールだからと一点張りでらちがあきません。すると担任の先生から提案があり、「お子さんは学級委員もしているので生徒会活動をすれば当校で卒業できます。校長も了解してくれました」と言って校長室に伺うと「ご安心ください。教育委員会から通知が来ても無視してもらって結構です。私が責任をもってお子さんを卒業させますから」と言っていただけました。救われました。
最後の話題です。
誰もやらないなら私がやろうと決断した日本人がたくさんいます。
世界一厳しい排ガス規制のマスキー法はどのメーカーもクリアできない悪法だと評判でしたので、どこも研究開発には力を入れていなかったと思いますが、いち早く挑戦しクリアしたのはホンダシビックでした。
ipodが誕生するはるか以前に画期的な携帯カセットレコーダー「ウォークマン」を開発したのはソニーでした。
東芝は世界に先駆け大容量の高性能チップを開発しました。そのおかげでipodが世に出ることができました。世界最初のノート型ラップトップパソコンを開発したのも東芝です。それが今では・・・
1918年の第一次世界大戦後の世界秩序のために設立された国際連盟に日本も主要列強国として参加しており、全権の牧野伸顕が世界に先駆けて人種差別撤廃を連盟規約に盛り込むことを提案したことがありました。逆に白人世界の逆鱗に触れて日本殲滅計画が発動されることにつながったかもしれませんが、画期的な提案であったことが間違いありません。
まとめに入ります。
わが身も含めて、経営者の決断力が劣化しているのではないでしょうか。自分でビジョンなり方針なりを決めない。かといって案はないかと言えばちゃんと自分の考えを持っている。しかし、幹部から上がってくる方針を承認する方が波風が立たない。もし失敗したり問題が起きても「あなたが提案したのだから」と責任回避することができる、というわけでもないでしょうが。
会社に社長が一人しかいないのは、幹部が集まって議論しても決まらない難しい問題を決断する、先を見通せない中で会社の将来の方向性を描く、会社で起きるすべての問題から逃げることなく責任を取るためです。だからトップへの報告・連絡・相談は社員の義務なのです。報酬が高いのもそのためです。この決断能力を高めることが経営者にとってはとても重要なことです。