No.1238 ≪高生産性の働き方≫-2022.11.23

ツイッター社を買収したイーロン・マスク氏が興味深い話題を提供してくれました。買収するなり全社員7500人にメールを送り半分の社員を解雇し、さらに残った社員に「最低週40時間はオフィス勤務し、週80時間労働の準備に入りなさい。さもなくば新しい職を探すように。YES or NO?」「週40時間労働で世界を変えた人はいないんだから」とメールしたといいます。

ジョブ型雇用が一般的なアメリカでは、業績悪化に伴う規模縮小や部門消滅によるレイオフは合法。日本でも働き方改革で同一労働同一賃金のジョブ型がもてはやされていますが、果たして、ツイッター社のようなことができるかと言えば、限りなくNOに近いでしょう。戦後の日本では、学校を卒業した何もできない「素人」をOJTとジョブローテーションで時間をかけて一人前に育ててゆくメンバーシップ型を基本として成長してきました。働き方改革で俄に脚光を浴びた「プロ」対象のジョブ型は能力のみが採用の判断基準ですので、専門部門の欠員補充又は事業拡張による増員がその動機になります。本来のジョブ型は職務部門が拡大又は縮小による欠員補充と解雇の安全弁の機能を持っていますので、有期契約社員(つまり非正規社員)が本来の姿です。とはいうものの人物本位の日本社会において、たとえ人員余剰となっても部門異動等により雇用を維持せざるを得ないのではないかと思います。

イーロン・マスク氏の提供してくれた話題は、「働くとは何か」「人生とは何か」「幸せとは何か」を考えさせられました。アメリカ、日本、ドイツの労働時間とGDPと生産性を調べてみました。年間労働時間(2022年7月OECD調査)は、アメリカ1802時間、日本1633時間、ドイツ1306時間。ドイツは世界一労働時間の短い国です。一人当たり名目GDP(2021年IMF調査)は、アメリカ69,227$、日本39,301$、ドイツ51,238$。GDPを労働時間で割った時間当たり生産性は、アメリカ38.4$、日本24.1$、ドイツ39.2$となり、ドイツがもっとも生産性が高いです。なぜこんなことができるかと言えば、ドイツは家庭を大事にすることを国が法整備して長時間労働を禁じており、違反経営者は禁固刑が課されます。ドイツ製品は高品質高単価にならざるを得ないのです。日本でも、中小企業経営者だけでは解決できないかもしれませんが、設備更新や生産システムのイノベーション、DXの有効活用等により生産性を倍増させて、時間的余裕を創造し、それを家庭や個人のキャリアップに振り向けることで未来を豊かにする方向に舵を切らねばならないと思います。

エッセンシャルワーカーは別にして、業種や職種によって一概には言えませんが、一般的なオフィスワークは労働時間を短縮すれば生産性は確実に上がります。1日8時間の内、生産性に直結しているのは40%、残り60%はムダワークというデータもあるようです。これは私の肌感覚とほぼ一致しています。生産性に直結している40%の内の半分は移動時間ともいわれています。このような仕事を残業しないとこなせないのは、よほど要領が悪いか、何もしていない時間が長いかということです。倍の仕事量を抱えて残業無しでこなして初めて当たり前のコストパフォーマンスと言えます。逆に言えば、人員は半分で済みます。従って、一般的な生産性倍増はそれほど難しい仕事ではないということです。DXの活用によってリアルタイムな情報共有が可能になると、コミュニケーション時差や誤差が解消できるため、飛躍的に実務的な生産性は向上するでしょう。DXへの投資はトレーニングコストを考慮しても数年以内に確実にペイすると思います。増員せずに付加価値のある仕事を増やすか人員を抑えるか、企業によって考え方は異なりますが、いずれも待遇の大幅改善と増益が確実に期待できます。

ここからは私の昔話ですので、ご興味のある方のみお読みください。
私が経営コンサルタントに憧れて前職に入社したのは、街がクリスマスムード一色だった1985年12月17日でした。その年の9月22日にプラザ合意が結ばれ、日本は急激な円高となり、個人消費に弾みがついてバブル景気が顕著になりだした頃です。

事務的なテストと適性検査の後、太田琴彦常務(当時)の面接がありました。簡単な挨拶の後、適性検査の結果を見て、いきなり紙を取り出して、さらさらと数字を書き込み、私に手渡して、「これで良かったらおいで。いつから来れるか?」と採用が決まりました。憧れの会社に入社できるので、紙に何が書いてあるかも見ないで、「(ヤッター!)ありがとうございます。明日から出勤できます」というと、「あ、そう。詳しいことは総務部長から聞いて。今、何か聞くことはないか?」とおっしゃったので、「あのう、聞きにくい質問ですが、(子供が小さいので)休みはどれぐらいあるのですか?」「休みは4日ぐらいあるんちゃうか」「ありがとうございます」「他には?」「いえ、十分です」
面接が終わり、手渡された紙を見ると「月給〇〇円」と書いてありました。今の給与の7掛けでした。妻の顔が浮かび、どう説明しようかと悩みながら、総務部長から説明を受けました。
就業規則や手続き書類一式、手帳「ブルーダイヤリー」、課題図書10冊をもらって帰宅しました。妻は「良かったね」と笑顔で祝ってくれました。
終業規則をよく読んでみると「当社は残業申請する習慣がない」と明記されていました。それまでは残業手当が生活給の一部になっていましたので、「これからは残業手当が期待できないな」と目の前にいる妻の顔を上目遣いで見ました。しかし、憧れの会社に入った期待の方が大きく、不安はありませんでした。翌朝出社すると、上司や先輩から「手帳を持ってるか? 開いて」というなり次々と仕事の予定を指示されました。休日や宿泊も含めて、その日のうちに向こう3か月の日程が入りました。一日も休みがないではありませんか!
「確か、太田常務は面接の時、4日ぐらい休みがあるとおっしゃっていましたが、私の休みはないのですか?」と指導担当のM氏に聞きました。「君なあ、休みの単位を聞いたか?」「単位ですか?」「ああ、週とか月とか年とか」「いいえ、月じゃないのですか?」「君なあ、詰めが甘いな。年に決まっとるやろ。もし年だったら入社しなかったのか?」「・・・ それでも入社したと思います」「君なあ、これだけ皆が予定を入れてくるのは、それだけ君に期待している証拠だから、もっと喜ばないと」
あっという間に1年が過ぎました。総労働時間を試算すると5,400時間でした。当時は週48時間でしたが、残業時間は3,200時間、時給換算すると450円で大阪府の最低賃金と同額でした。今では完全に過労死ラインです。
しかし、私は楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。気分は最高で、ノーストレス。真夜中の団らんに家族もよくついてきてくれました。その時の年収は賞与と決算賞与を合わせて前職の10%UPになりました。その後、毎年上昇し、5年で入社前の3倍近くなりました。

経済的な成果以上に大きな成果は顕著なキャリアアップが自覚できて自信がついたことです。この時の仕事漬けで習得したキャリアが今を支えています。経営分析の専門書を片っ端から読み込み、商業簿記を勉強し、毎年300社以上の経営分析を手計算で行いました。コンピュータの使用は禁止されていました。理由は頭脳に経営分析回路をフォーマットするためです。経営分析結果をもとに現地・現場で確認し、トップに面談して疑問を解消します。うまくいっている会社とそうでない会社の違いが鮮明に浮かび上がってきます。よほどの天才でない限りは決算書をパラパラと見ただけで核心を突いた質問ができるわけではありません。「量は質に転嫁する」とか「鉄は熱いうちに打て」とはこのことです。

3年ほどで毎週休みを取ることができ、年間労働時間も宿泊出張を含めても2,500時間程度になりました。そのころの時給は1,700円で、入社時の約4倍になりました。私たちの仕事の材料は人と会うことです。会って話をすることです。それを問題解決に向けて組み立てるのは歩きながらでもできます。必要があれば時空を超えてLINEテレビでもZOOMでも現地現場映像付きで話し合いができます。いずれ自動運転の時代になると、移動中でも仕事をしながら人に会いに行けるのでもっと生産性が向上するとワクワクしています。