10 月25 日の房総半島豪雨で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。千葉県下は9月15 日の台風15 号でも大きな被害を蒙られ、傷がいえない間に今回の豪雨被害を受けられました。一日も早い復旧、復興を心よりお祈り申し上げます。
地震・台風・豪雨・竜巻・洪水等の自然災害は、いつ何時どこで起きてもおかしくはありません。防災意識を高めて、日ごろから想像力を働かせて生活することがいかに大事かを痛感させられました。
先週のメルマガで報告しましたように、10 月25日~27 日の3 日間、古事記の現場を旅する「まほろば研究会」で熊野三山~伊勢~能褒野~熱田を巡ってまいりました。
憧れの熊野三山にやっと参詣することができて、とても感動いたしました。神々のパワーも沢山いただいてまいりました。
まほろば研究会は古事記の現場を歩くのが目的です。同じ熊野に憧れた上皇たちの熊野御幸(ごこう)も頭の片隅におきつつ、関西空港に集合し、紀伊路を南下し、田辺市から中辺路沿いに熊野山中にはいり、熊野本宮大社を目指します。車で約3 時間の行程です。
神武東征では新宮から熊野川沿いに山中に入っていますので、熊野御幸(ごこう)とは逆ルートになります。
車で熊野山中を移動しながら思ったのは、幾重にも重なった深い山並みと熊野川の蛇行の激しさです。ちなみに熊野の山並みは三千六百峰と言われています。神武東征のころはもっと人を寄せ付けない深山幽谷だったでしょうから、道なき道を進軍したと思います。
なぜ神武東征が熊野ルートだったか。その一つのヒントとして、ご存知の方も多いと思いますが、新宮には「紀元前200 年ごろに徐福が上陸した」記念碑がたっています。熊野速玉大社やごとびき岩伝説で有名な神倉神社から1Km も離れていません。司馬遷の「史記」によると徐福は秦の始皇帝の命令により不老不死の霊薬を手に入れるために童男童女を中心に各分野の最先端の専門家を含む約3000 人の人々と日本の各地に上陸して霊薬を探し求めた伝説の人です。当時の不老不死の霊薬は水銀だといわれており、水銀を多く含む鉱物は丹生(にう)とか辰砂ともよばれ、伊勢・吉野・熊野が主な産地です。
紀元前700 年ごろに著された管仲の「管子」によると、「山の上部に丹砂があれば地下に黄金がある。山の上部に磁石があれば、地下に銅がある。山の上部に稜角石があれば地下に鉛・錫・赤銅がある。山の上部に赤土があれば地下に鉄がある。山に金属の発現を発見した場合は、土を盛って境界を設け、境界から十里離れた場所に祭壇を作り、馬車に乗っている者は下車させ、歩いている者は追い払い、この禁令を犯すものは必ず死刑にし、一切の容赦を与えないこと。そうすれば山は安全だ」と言います。
吉野山に黄金鉱床を発見した彼らは、吉野山上に金峯山寺、麓に蔵王堂を建立し、日夜パトロールをしました。それが山伏修験道のルーツとなり、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は吉野から熊野に抜ける往復180Km の山上をパトロールする事が主目的だったのではないかと思います。鉱物が出た場所には祠(ほこら)を建てて幅16km にわたり禁制とすることで熊野・吉野全山が神聖な地として崇敬され、守られてきたのでしょう。
神武天皇はその情報を熟知し、日向から大和に侵攻する神武東征をしたのではないかと感じました。
時は流れて、1090 年に白河上皇がはじめられた熊野御幸(ごこう)の主な行程を再現してみましょう。
京都の伏見鳥羽にある城南宮が熊野御幸(ごこう)の出発点です。ここで、沐浴潔斎し精進屋に入り、注連縄をはって不浄をさけて、陰陽師がお祓いを行い、先達(修験道山伏)のほら貝を合図に出発します。淀川を船で下り、途中、石清水八幡宮に参詣し、窪津王子(現天満橋付近)で下船し、陸路、四天王寺、住吉大社を経由し、田辺より中辺路(熊野古道)を歩き、本宮で3 日間を瞑想と写経ですごし、熊野川を新宮に下り、速玉大社、那智大社の経由し、本宮に戻り、城南宮をめざし帰路につきます。その間26 日間。同行した藤原定家はその行程を記録し「帰京し、やっと魚が食べられた」感激を日記に残しています。
白河上皇も霊山聖地の熊野を味方にすることにより、そこに眠る手付かずの無限の鉱物資源と人々の聖地巡礼の信仰心、荘園の組み換えによる経済基盤を整えたのでした。高速道路が整備されているとはいえ、令和の現在においても熊野・吉野は交通が不便で人々を寄せ付けない神秘的な霊地です。
熊野の蘇りの地、湯の峰温泉の旅館では、若くて国際感覚をもった女将夫婦が取り仕切っているせいか、山奥でwifi環境や英語表記の案内がいたるところにあり、宿泊客は日本人より欧米人の方が多かったのが印象的でした。彼らは巡礼服のような白無垢を着て杖をついて三山を参詣していました。 今回の研究会で、政権を支える財政基盤を整えることと、宗教的背景を持つことがいかに大切か、会社に置き換えれば、財務の安定基盤を構築することとトップの哲学を浸透させることで、盤石な経営体制が構築できることを再確認できました。会社にも神話が必要なのですね。