No.1253 ≪経営理念は必要か、もちろん必要です≫-2023.3.22

「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という歌があります。経営者の方ならご存じでしょうが、西行法師が伊勢の神宮を詠んだ歌です。西行はご存じのように院制(1086年)を始めた白川上皇及び御所を警護する北面の武士でしたが、歌人の才能があり22歳で出家します。そのころの北面の武士の同僚には平清盛がいます。武家社会に移行する激動の時期に生きた方ですが、諸国遊行の中で詠んだ歌が冒頭の歌です。神宮は見えるけれどもそこから発する「なにごと」は見ることも触れることもできないが、ただただ感動して涙がこぼれる。

また、日本の精神を「やまとごころ」と言われますが、では「やまとごころ」とは何かと問われて、どう説明できるかという難問があります。この難問に正面から応えた方がおられます。「古事記伝」44巻を生涯をかけて編纂した伊勢・松坂の医師であり国学者の本居宣長(1730-1801)です。同時代の国学者には賀茂真淵、平田篤胤がいます。本居宣長はやまとごころを「しきしまのやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花」と答えました。
言葉にしてしまうと本質から外れてしまう、しかし、言葉にしなければ伝わらない。

29歳で生涯を閉じた吉田松陰(1830-1859)は「かくすれば かくなるものと 知りながら 已むに已まれぬ 大和魂」と歌っています。外国船の往来が活発となった鎖国時代の江戸後期に、海外渡航は違法と知りながらも国の行く末を考えると世界を知らねば立ち行かないと考え、アメリカ軍艦のポーハタン号に乗り込もうとして拒否され自首して投獄された吉田松陰の歌です。

人生における信念や人生哲学も、法人という会社における経営理念も同じようなものではないかと思っています。言葉にすると誰もが「なるほど」とわかりますが、だからと言って製品のようにカタチとして表現できるほど具体的なものでもない。とても漠然としています。日ごろの日常生活で道具として使うわけでもないですし、立ち居振る舞いの度に必要なものでもありません。しかし、言動には出てくるものです。

侍JAPANが優勝したWBC(World Baseball Classic)にまつわる話題の中で、とても印象に残っている映像があります。日本人のお母さんを持つヌートバ―選手が、数名の記者会見が終わってその場を去る時に、自分の座っていた椅子だけでなく、他の人が座っていた椅子も両手でそろえて机に入れてから立ち去る光景を見ました。感動しました。席を立つときは椅子を入れることは小さなころから教わっていますが、自然と行動できるかどうかは人それぞれです。また、世界のスーパースター大谷選手が落ちていたごみをさりげなく拾ってポケットに入れる自然なしぐさにもとても感動しました。あれこそ「やまとごころ」です。いざという時にしか姿を現さないのが「やまとごころ」であり「なにごと」であり、「人生哲学」であり、「経営理念」なのだと思います。

新渡戸稲造が英文で書かれたベストセラー「武士道」の序文に「約10年前(1889年)、著名なベルギーの法学者、故ラブレー氏の家で歓待を受けて数日を過ごしたことがある。ある日の散策中、私たちの会話が宗教の話題に及んだ。『あなたがたの学校では宗教教育というものがないとおっしゃるのですか』とこの高名な学者が尋ねられた。私が『ありません』という返事をすると、氏は驚きのあまり突然歩みを止められた。そして容易に忘れがたい声で『宗教が無いとは。一体あなた方はどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか』と繰り返された。そのとき、私はその質問に愕然とした。そして即答できなかった。なぜなら、私が幼いころ学んだ人の倫たる教訓は学校で受けたものではなかったからだ。そこで、私に善悪の観念を作りださせた様々な要素を分析してみると、そのような観念を吹き込んだものは武士道であったことにようやく思い当たった。
この小著の直接の発端は、私の妻(メリー婦人 アメリカ人)がどうしてこれこれの考え方や習慣が日本にいきわたっているのか、という質問を頻繁に浴びせたからである」

言葉では言い表せないけれど、身についていないと行動できない。それが西行法師の「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」であり、本居宣長の「しきしまのやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花」であり、会社で言えば経営理念になるかと思います。
経営理念は日頃から浸透させておくことで、何かがあった時、例えば、会社が苦境に至った時や社員の心が離れかけた時などに初めて表面化し、威力を発揮するのです。