No.1215 ≪世界が憧れる日本人≫-2022.6.15

春と秋に森信三氏ゆかりの実践人京都(代表世話人田村晃氏)の勉強会が開かれる。コロナ禍で人数を制限しての勉強会ですが春の勉強会は京都駅近くの聞法会館(浄土真宗西本願寺横)で約200人近くが参加されて開催しました。
講師の一人は「国家の品格」の著者で数学者の藤原正彦氏でした。配布された氏のコラム(『週刊新潮』2012年11月29日号)がとても感動的だったので皆さんにも共有いたしたく転載いたします。

「ポーランド人が親日的というのはしばしば耳にする。十年ほど前に私たち夫婦がポーランドを訪れた時、案内を買って出た歴史家はポズナンという町をくまなく案内してくれた上、自宅で夕食までごちそうしてくれた。ケンブリッジ大学にいたころに知り合った物理学者は、ワルシャワから車で1時間もかかるショパン生家まで連れて行ってくれた上、やはり夕食に招いてくれた。先日、この友人の息子夫婦が日本を訪れたので我が家に招いた。ポーランドでは日本の人気が高く最難関のワルシャワ大学やヤギェウォ大学でも日本学科は大変な競争率という。明治25年(1892年)、ベルリン駐在武官だった福島安正少佐は帰国に際しシベリアを1年4か月もかけて単騎横断した。ドイツ国境を出て東へと進んだ彼は、ある寒村でみすぼらしい農夫に尋ねた。
『ここはどこですか?』(農夫は)『昔、ポーランドと呼ばれたところです』
1795年のポーランド割譲により長い歴史を誇ったポーランドは消滅し、ロシア・ドイツ・オーストリアの領土となったのである。
農夫の悲しげな表情に祖国を失う悲哀を感じ涙した福島少佐は、帰国後の新聞インタビューでこれを語った。これは国民の感動を呼び、落合直文が詩に書き「ポーランド懐古」という歌にまでなった。
こんな土壌があったから、大正9年(1920年)、シベリアに残されたポーランド孤児765名の救出などという列強各国が尻込みした大事業を日本赤十字と帝国陸軍が協力して成し遂げたのであろう。朝野をあげて不憫な子供たちに同情し、お金、おもちゃ、人形、菓子などを送る人が後を絶たなかった。
栄養失調や病気を治し故国へ送り届けたことはポーランドでも大きな話題となり、大国ロシアを倒した勇猛な日本人の優しさに人々は深く感謝した。その上、帰国した孤児で身寄りのない者のために日本はグダニスク郊外に孤児院を立てるのに尽力した。第二次大戦で彼らが地下レジスタンス運動に参加したためナチスが孤児院の強制捜査に入った時は日本大使館から書記官が駆けつけ日本の保護下にあることを言明し、子供たちに日本の歌を聞かせるように指示した。皆が「君が代」と「愛国行進曲」を大合唱したところ、ドイツ兵はあっけにとられ引き上げたという。
1990年代に駐ポーランド大使をした兵藤長雄氏の「善意の架け橋」によると彼は8名の元孤児を公邸に招いたという。皆80歳以上だったが、孫に支えられやっと公邸にたどり着いた老婦人は「生きている間にもう一度日本に行くのが夢でした。公邸に招かれた時は這ってでも行きたいと思いました。なぜならここは小さな日本の領土と聞きましたから」と言って感涙に咽んだ。
ポーランドは恩返しとして、阪神大地震の時には被災児数十名をポーランドに招いた。中に小さなリュックをいつも肩に担いで離さない男の子がいた。世話役のポーランド婦人が付き添いに理由を尋ねると、両親、兄弟をなくし家も焼けてしまった子で、リュックの中には焼け跡から見つかった形見や遺品が入っているという。夫人は涙止まらぬままにこの子の幸せを祈り続けたという。
歩行もままならなくなったポーランド人の元孤児4人も日本人孤児を慰めにきて、一人一人涙ぐみながら赤いバラを手渡したという。
6年前に90歳で亡くなった最後の生存孤児リロさんは第二次大戦でユダヤ人を助けイスラエル政府から賞をうけたが『日本人に助けられたから恩返しにユダヤ人を助けた。日本は天国のようなところだった』と述懐した。」

ポーランドという国は、北はバルト海、北東はロシアの飛び地カリーニングラード州とリトアニア、東はベラルーシとウクライナ、南はチェコとスロバキア、西はドイツと国境で接する共和国です。10世紀に建国され大国家を形成しましたが18世紀に3度にわたり分割され消滅しました。第一次大戦後の1918年に独立しましたが、第二次大戦で敵同士のナチスドイツとソビエト連邦の裏取引によってふたたび二分割されました。1989年の民主化で独立し共和国となりました。

1890年にトルコのエルツールル号が紀州沖で台風の為に遭難した時、吹きすさぶ嵐の中で乗組員69名を命がけで救助したのは地元の住民でした。乗組員は手厚く介抱され元気になって祖国に送り返されました。この恩を100年間忘れず、イラン・イラク戦争の時(1985年)、イラク国内に取り残された日本人216名を救助してくれたのはトルコの首相と危険を顧みずに飛行機を飛ばしてくれたパイロットとCAの皆さんでした。