メリー・クリスマス!
キリストの生誕を祝うクリスマスは、信者ならずとも、心ウキウキワクワクする時です。街はイルミネーションに彩られ夢の世界を演出し、人々は家路を急いで、温かい家で家族そろってごちそうをいただき、サンタさんのプレゼントが待ち遠しくて眠れない夜を過ごす子供たちが世界中にいます。一方で、戦地で悲惨な状況にある人々もおられます。
たとえ科学技術がいくら進化しても、たとえAIが理論的に人間の知性を超えても、人間は、世界は、有史以来あまり変わっていないことを実感します。正義の無い、誰も幸せにしない戦争を何年も何回も続け、多くの犠牲者を出し、恨みと憎しみの複合連鎖を何百年も積層しています。歴史をたどると、記録のある最初の戦争は、紀元前1200年前のトロイア戦争ですが、それ以来、現在まで400以上の戦争と名の付く戦いの記録があります。その間、戦争の記録がないのは、556年~562年の6年間、563年~580年の17年間、591年~597年の6年間、656年~659年の3年間、664年~670年の6年間、961年~967年の6年間、最近では2010年です。それ以外はどこかで戦争が起きています。いつになれば、人類は賢くなるのかと思いたくなるぐらいに、数千年の間に、合計してもたった45年間だけ戦争の記録がありません。戦争にきっかけはあっても正義はありませんし、勝っても負けても犠牲者が出るし、憎しみが増幅します。為政者以外にはなんらメリットはありません。為政者すらメリットはないかもしれません。なのに、なぜ、止まらないのか? 野性の本能はやめろと叫んでいるのに、なぜ?と思ってしまいます。
人間の細胞は37兆個あり、そのうち脳細胞は約千数百億個以上(大脳に数百億個、小脳に千億個以上)あり、脳細胞を全部つなげると100万Kmの長さになり地球25周相当もあります。この脳細胞の働きで、科学技術の進化はとどまるところを知らず、ほとんどの物質は解明され、今や、地球の裏側や宇宙にいる人と瞬時にコミュニケーションを図ることができます。生物のあらゆる物質の構造やゲノムは解読され、優秀な遺伝子をデザインすることで最強無敵の人間を誕生させることもできる時代に生きています。
科学技術が神の摂理を脅かすほどに進化した時代にも関わらず、人間のやることは相変わらず、諍いと対立と戦いに明け暮れています。世界のどの国の人も一人一人は良い人ばかりなのに、集団になると途端に利害が発生し、考え方の相違が生まれ、異質なものを排除し、同質のなかで、権威の格差が生まれ、貧富の差が広がり、集団防衛が強化されてゆきます。集団間では諍いが生まれ、諍いから競争が生まれ、競争から対立が生まれ、対立から争いが生まれ、争いから戦いになり、武器を準備します。専門職の軍隊が生まれ、集団の利権を防備します。さらに進むと国同士の戦いになり、戦争が起きます。いったん戦争が起きると、どちらかが全滅するまでとことん戦うか、どちらかが降参するか、誰かが仲介して和解するかしか落としどころはありません。
地球が誕生して46億年、生命が誕生して38億年、人類が誕生して200万年、現代人につながるホモサピエンスが誕生して25万年。そして、クロマニヨン人と各地で競合しながら交配を繰り返し、世界中に分かれて広がりました。陸続きの日本にホモサピエンスが到達したのは約4万年前と言われています。そして、約3500年前に、記録に残る最古の文明、メソポタミア文明が誕生しました。その後、約500年毎に、エジプト文明、インダス文明、黄河文明と広がってゆきました。それは、戦いの歴史でもありました。勝者は敗者を奴隷として使い、様々な遺跡をつくりあげました。ピラミッドしかり、バビルの塔のモデルとなったジッグラトしかり、万里の長城しかり。民族の生存は軍隊の強弱と比例していましたから、強い軍隊組織、有能な司令官、屈強な兵士、優れた戦略、強力な武器開発はとどまるところを知りませんでした。それは、今も継続しています。
一体、なぜ分かり合えないのか? なぜ、戦いの悲惨さを学ばないのか? なぜ、戦争をおもいとどまらないのか?ふと、気づいたことがあります。自分の体の仕組みを見つめてみますと、実に学ぶところが多いことがわかります。まず、体に異物が侵入しないように、私たちの体にはバリア機能が二重三重に装備されています。体毛もバリア機能の一つです。表皮には侵入させないけれど排出できる小さな穴が無数にあります。汗や毒はここから排出されます。口腔内から肛門に及ぶ消化系の皮膚表面は繊毛や粘膜に覆われています。もし、口から侵入しても細胞内に侵入させないように粘膜で排出します。万が一、細胞内に侵入を許したとしても、細胞内の各種の専門機能に特化した決死隊が直ちに編成され、わが身の命と交換に異物を排除する無数の軍隊を持っています。それこそが野性の本能です。わが身を正常に保つために、様々なバリア、二重、三重に軍備された仕組みが、集団や国家に拡大されているにすぎないのではないかと考えました。
異質なものを排除することが生命を維持する絶対条件だとすれば、対立、戦いが無くなることがないのではないかと納得したのです。なくなる時は、本能が無くなる時、つまり、死を意味します。ならば、家庭はどうあるべきで、会社はどうあるべきで、国はどうあるべきか、自ずと答えが導き出せるのではないかと思います。
