No.1351 ≪「やまとごころ」と「実語教」に学ぶ≫-2025.2.19

「失われた30年」と言われて久しいですが、日本は物質的には歴史上かってない豊かな社会となりました。世界での餓死者数は年間912万人以上と言われていますが日本では2300人(厚生労働省統計2023年)です。
しかし、精神的には歴史上かってないほど貧困といえます。捕まることのない安全な場所からスマホ一つで巧妙に人を操り強盗や殺人を実行させる悪知恵が横行し、普通に考えればありえない「うまい話」に簡単に乗って身分証明書や写真を取られて指示通りに強盗や殺人を犯す人が無数にいるのですから。

「後ろ指をさされるような人になるな」とか「うそつきは泥棒の始まり」と教えられて今の日本があります。
日本及び日本人が多くの外国人にリスペクトされているのは、ダントツに世界最長で万世一系の皇統をもち、そこで育まれた精神性の高さ、つまり、和を尊び、正直で嘘がない、何事にも誠実、人に親切、己より公を優先する、きれい好き、もったいない精神が旺盛、自然を敬い自然をめでる感性、伝統文化を守る庶民の知恵、別の表現をすれば「やまとごころ」の故だといえましょう。

古今東西、世界中で誕生した時の権力者や富裕者は、「持てば持つほど欲しくなる」たとえの如く、圧倒的な権力を手に入れイエスマンに囲まれ、蓄財に蓄財を重ねて世界中の富を独占する強欲を発揮します。それは次第に神の如く永遠の命を手に入れようと不死の妙薬を探し回ります。冷静に考えればありえないとわかりそうですが、そうならないのが人間の滑稽で愚かで悲しいところです。0.7%の富裕者が99%の富を上回り、トップ22人の資産合計が6億人の合計を超えますし、GAFAMの資産合計は全世界のGDPの11%以上になります。これにAI企業の分を合計するととんでもない格差が起きていることが容易に想像できるでしょう。明らかに異常な世界です。これを人類の進歩と勘違いすると地球滅亡の日(アルマゲドン?)が近いと言えます。しかし、これが現実です。

ところが、「やまとごころ」を育んだ日本では、世界で起きているこのような強欲集団にはなりませんでした。天皇は天と地をつなぐ徳の人でなければ務まらず人々の安寧を祈る祭祀者であり、国民は「おおみたから」と呼ばれ大切にされてきました。会社では経営者も社員と同じ制服を着て、社員食堂で同じ食事をして、同じ現場で働くことが美徳で、格差が著しく少ない国柄でした。戦後、先進の米欧資本主義が導入され少しづつおかしくなってゆき、会社はいつの間にか株主のものになり、社員は利益を生み出し株主に多額の配当をするツールやマシンのようになってゆきました。しかし、それは「やまとごころ」から見れば日本的ではない、おかしいと気づき、多くの企業で、揺り戻しが起きて、経営者は誰よりも早く出勤して鍵を開けてトイレ掃除をして社員を迎え、誰よりも遅く残って戸締りをします。目先の浮利を追わず、次の世代を見据えた長期的視点で経営する日本的経営が増えてきているように思います。日本の99.7%が生産性の阻害要因とまで酷評されている中小企業ですが、逆に中小企業だからこそ日本的経営を実践できる誉だと思っています。

日本人が連綿と「やまとごころ」を継承できた背景に、身分にかかわらず読み書きそろばんを教えて立身出世の基礎を作った寺子屋があります。江戸時代には寺子屋は記録のあるもので10,296校、記録の無いものまで含めると約5万校と言われています。生徒数が平均して約50名程度と仮定すると約250万人が学び、ほとんどの人が読み書きができる世界屈指の識字率を誇ったのです。GHQの言語学者が英語の識字率の低さ対策として公用語を英語にする計画をしましたが、日本語での識字率は世界ダントツトップだとわかり撤回したことがあります。
識字率に貢献した寺子屋の教材に「実語経」が使われました。作者は不明ですが、一説には弘法大師ともいわれています。平安時代に作成され、江戸時代には寺子屋で使用された実学の書です。

「山高きが故に貴からず、樹有るを以て貴しとす。人肥えたるが故に貴からず、智有るを以て貴しとす。富は是一生の財、身滅すれば則ち共に滅す」と始まり、「なお農業を忘れず、必ず学文を廃することなかれ。かるが故に末代の学者、先ずこの書を案ずべし。これ学問の始め、身終るまで忘失することなかれ」で締めくくります。全部で49の対句からなっており、子供たちはこれを暗記して価値判断の基礎に置いたのです。

小泉元総理が取り上げて有名になった長岡藩の小林虎三郎の「米百俵」のエピソードも、子供の教育がいかに大事かを示しています。
政敵となって赤貧の長岡藩に隣藩から米百俵が届いた。小林寅三郎は、藩士の猛抗議を押し切りこの百俵を売却して学校を設立する決断をしたのです。
「国が興るのも、滅びるのも、町が栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。だから、人物さえ出てきたら、人物さえ養成しておいたら、どんな衰えた国でも、必ず盛り返せるに相違ないのだ。おれは堅く、そう信じておる。そういう信念の下に、このたび学校を建てることに決心したのだ。百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と説得し洋学局と医学局が設置されたのです。

私たちがどこかで忘れてきた「やまとごころ」を再発見し、企業経営に生かしてゆきたいものです。