2025年12月8日23:15、青森県東方沖にてマグニチュード7.4の巨大地震が発生しました。被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。今週いっぱいは後発地震情報が発令されていますので、くれぐれもご注意くださいませ。
さて、私は「AI」と「仮想通貨」は産業革命2.0になると確信しています。産業革命から近代化が始まったように、産業革命2.0はHAL化が始まっていると思っています。
いみじくも2025年の干支は乙巳(いっし)です。古くは645年に、乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足が、時の権力者、蘇我入鹿を殺害してクーデターを起こしました。その後、天皇親政を実現し、公地公民制による班田収授法という税制を導入し、大宝律令という法体系を構築し、中央集権国家を建設しました。いわゆる「大化の改新」が始まった年です。宇宙エネルギーの流れは、60年に一度循環するようになっていますが、23回目の循環が2025年です。
今を生きる私たちに置き換えると、2022年11月30日にリリースされたOPEN-AI社の生成AI「CHAT-GPT」の開花期を迎えています。リリース翌年の2023年は関心こそ高かったものの普及するまでには至っていませんでした。2024年には実務的に導入する企業が増えてきました。Anthropic 社のClaude、Google社のGEMINI、Microsoft社のCopilot、さらに画像生成SORA、Stable Diffusion、他にも音声生成や資料作成、動画生成のサービスも目白押しにリリースされました。2025年にはいるとAIエージェントが実務ソフトに実装されて爆発的に普及しました。まさに乙巳の年は、どこでもAI、だれでもAIの状況になり、猫も杓子もAIで開けて、AIで暮れてゆきます。
かって、民俗学者の柳田国男氏は日本人の特性として「大勢」を上げており、一つの新しい傾向が芽ばえてくると、その価値を確かめもしないうちから遅れずについていこうとして焦る気持ちがあると喝破しています。別の表現を使えば「バスに乗り遅れる」「先んずれば人を制す」「先手必勝」が身についています。今や「大勢」は、日本人だけの特性ではなく世界共通の特性になった感があります。AIブームに乗り遅れるな、AIバスに乗り遅れるなと一所懸命です。
目加田経営事務所でも、遅ればせながら、バスに乗り遅れるなとばかりに「AIセミナー」を開催しました。AIは知れば知るほど奥が深く、使えば使うほど便利で優秀です。新しい機能を搭載したアプリが毎日誕生しています。特に複数の工程を一括で処理できるAIエージェントの誕生は人間の活動、中でも事務処理や生産工場の生産工程や医療現場、介護現場、教育現場はすべてAIで代行できるようになるのは時間の問題ではないかと錯覚しそうです。
先進諸国はAIの進化を国家目標に掲げて、天文学的な費用をかけて巨大なデータセンターを多数建設し、それに必要な電力を供給する発電所建設を加速しています。安全保障面でもAI無くして成り立たなくなっています。攻撃も防御もAIで行えば勝敗がつくのでしょうか。犠牲になるのは地上にいる人間だけになりそうです。
技術の進化はとどまるところを知りません。「昇る太陽は止められない」とすると、必ずどこかで倫理的な限界を迎えます。できるけれどもやるべきかどうか。これは遺伝子治療の分野で先に壁に突き当たりました。優秀な能力を持つ遺伝子を組み込んだスーパー人間を誕生させることは、技術的に可能な時代に入っています。しかし、やるべきなのかどうか。神の領域に入ってよいのか? AIも神の領域に入るのは時間の問題でしょう。そこで求められるのは、倫理、即ち哲学の問題になります。これという正解がない世界です。「バスに乗り遅れるな」競争に入り、気が付けば取り返しのつかない神の領域を侵食していたのでは人類の破滅になります。
皆さんは、次の「船頭と若い女性と恋人のジレンマ」問題をご存じだと思います。
「若い女性と恋人は川の両岸に離れ離れになっており、橋は洪水で流され、渡るには船しかありません。船頭の船だけが川を渡れるけれど、船頭は「渡してあげてもいいが、そのかわり今夜、俺の要求を受け入れろ」と言います。最初は激しく拒絶した若い女性は、悩んだあげく、どうしても恋人に会いたい一心で条件を受け入れ船で川を渡ります。恋人に会って事情を話すと恋人は激怒し、「そんなことをした君とはもう一緒にいられない」と若い女性を拒絶します。若い女性はショックを受け、共通の友人に相談しますが、彼は「そんなの自業自得だ」と冷たく突き放します。さてここで問題です。最も罪深いのは誰だと思いますか? 順番をつけなさい」
正解はないけれど、考えを示すことはできます。このような「AIバスに乗り遅れるな」は哲学の問題と裏腹にあるのではないでしょうか? AIバブルは早晩崩壊するでしょうが、AI技術は進化し続けるので、哲学的アプローチは今後ますます必要になります。
