「転ばぬ先の杖」という言葉があります。転んでから杖を突いても間に合わないので転ぶ前に杖を突くつもりで念には念を入れて用心しながら行動しましょうという格言です。「老婆心」という言葉があります。人生経験が豊富で辛酸をなめつくした人が、目下の人に転ばぬ先の杖になろうと親切心でアドバイスするのですが、それが必要以上の親切心になっているさまのことわざです。アドバイスを受ける側からすれば「小さな親切大きなお世話」という言葉が当てはまります。親切心からした事が相手にとっては迷惑千万で余計なお世話になるさまを言います。私も世間があまりわかっていなかった30代の頃は「相手のために良かれ!」と思ってやっていました。厄年を迎えるころにはさすがに悟りましたが、今思うと顔から火が出るぐらい恥ずかしい気持ちでいっぱいです。気分を悪くされた方には謝ります。アドバイス一つするのも人間がわからないとできないもので、今でも確たる自信がありません。しかし、経験上明らかに大きな被害を受ける、または生命にかかわると思われるときは、相手から嫌われようが激怒されようが忠告することにしています。
3年半前のコロナ禍中での事です。経営支援先のA社長が大喜びで「面白い話があって申し込んだ」と聞かされました。聞くとどうもポンジスキーム詐欺と思われる儲け話でした。
近日中に話を持ってきたB社長が来社されるとのことなので私に話をさせてほしいと頼みました。
「それはいいが親友のCさんが自分もうまくいっているので特別に紹介してくれたんだ。失礼のないようにしてくださいよ」「大丈夫です。お任せください」と多少強引に転ばぬ先の杖を出しました。
B社長が安っぽい目論見書を示しながら「このT社が確実に利益の出る大きなプロジェクトをやることになり、必要な資金を社債債発行で賄うことになりました。今はどのようなプロジェクトかはT社の中でもごく一部の上層部の方しかご存じない極秘案件で動いておられるので申し上げられません。社債は5年満期の元金保証で、配当は毎年20%確約という条件で、5年で資産が倍になる社債です。社債募集の特命を当社が受けまして、プロジェクトの性格上公開募集ができませんので信頼できる方のネットワークを通じて紹介してくださる特別の方のみご案内しています。1口2000万円で3口までお求めいただけます。皆さんから好評でとても喜んでいただいています。A社長様にご提案しましたらたいそう喜んでいただき、3口6000万円その場でお申し込みいただきました。2000万円を現金で頂戴しましたが、残り4000万円の準備ができたとご連絡いただきましたので本日お伺いいたしました」とのこと。
私は「ご提案いただきましてありがとうございます。そんなに確実に2年で2倍になるならあなたが買われた方が良いのではないですか? それはさておき、私は私募債については一般知識しか持ち合わせていませんので教えてください。」と言ってカマをかけながらいろいろと質問しました。わかったことは、社債は私募債で、募集人員は50名、従って社債管理人はおいていない、私募債なので法務局や財務局への届け出は不要だとのことでした。
「B社長、私募債の上限は1億円でしたよね? 1人1口2000万円としても単純に10億円になりますが、問題ありませんか? おそらく何らかの届け出が必要になるのではないですか? 当社の顧問税理士と顧問弁護士にも相談しますが、わかったら教えてください」
B社長はいろいろ言い訳がましいことを言われましたが、「後ほど確認してご連絡します」と言って帰られました。その後連絡はありません。
B社長に苦情を言われたのでしょう、「Cさんが特別に紹介してくれたのに何ということをしてくれたんだ」と叱られました。
「A社長、すみません。毎年20%配当があり5年後に元金返済があればお許しください。その時は責任を取ります。5年間待ってください」と言って怒りを収めていただきました。
配当金支払日翌日にA社長に確認すると入金していたそうです。2回目は入金されていたかどうか確認しませんでした。理由はB社は被害者集団訴訟を起こされ、わかっているだけで被害額は60億円が出ていたからです。A社長はその事もご存じなく、多額の損害を免れたとは思わず私が邪魔をしたと怒りは収まらないようでした。私もいくら依頼されたとはいえコンサルタントの分をわきまえず出過ぎた真似をしたと深く反省しています。
経営コンサルティングという仕事をしていると、様々な体験をさせていただけます。成功例もあれば失敗例もあります。会得した教訓は数式のように代入すればぴったりの解があるわけではありませんが、基本原則は一緒です。クライアントにひどい目にあっていただきたくないので、上の事例のような先手先手で「転ばぬ先の杖」を提供することがあります。うまくゆく時もあればそうでない場合もあります。うまくいった時は「この前のアドバイスを実行しておいてよかったです。まさに間一髪でした。ありがとうございます」と感謝されます。
話題にもならない時はハズレのアドバイスだったわけです。つまり老婆心だったということです。この距離感をベースに置きながら仕事をさせていただいております。
トップと違って幹部の方は少し違います。「転ばぬ先の杖」の提供はとても注意しながらやっています。なぜなら、幹部は自部門のことは商品、得意先、ライバル、業界はもとより部下のプライベートなことまで隅から隅まで知り尽くしている方が多いのです。私たちが「これは注意してあげた方が良いな」と思っても、あまり受け入れていただけません。「一般論でしょ。うちは違いますよ」と露骨に無視されることも多々あります。
ところが、専門外の領域で問題が起きると話は別です。「元気ないですね。どうしたんですか? 〇〇さんらしくないですね」と声をかけると、「そう見えます? まずいな。そうなんです。実は困ったことが起きてどうしようか思案しているんです。トップに相談するわけにもいかないし、同僚にもまだ言える状態ではないですから」
「そうですか。それは大変ですね。お話を聞くぐらいならできますからいつでも声をかけてください」
「ありがとうございます。実は、」とあたりを気にしながら声を潜め、「誰にも言わないで下さいよ」
「もちろんです。口だけは堅いですから」「それは信用しています。実は・・・」
困っている問題の多くは人間関係です。部下のこと、上司のこと、家庭のこと、介護のこと。仕事のことなら目をつむっていても業績を上げて目標達成する幹部でも、こと人間関係になるとどうしたらよいかわからないのです。中でも、世代の離れた若者へのかかわり方、ハラスメント、心の病、不登校のことになると全く歯が立たないようです。
ある学童経営者の方から聞いた話ですが、「最近の子供はオツリという言葉を知らないんです。皆キャッシュレスで現金を使いませんから」というのです。また、マンガを読まなくなっています。理由はセリフを読むのが面倒くさいからアニメが良いというのです。
最近の会社で多いのは退職代行サービスを使った退職です。安くはない代行料を払ってでも慰留された時の対応に自信がないので代行に依頼するのだそうです。また、他罰性や自己愛傾向が強い現代型うつ病も増えています。
本当に「困らないとわからない。困らないと変わらない」。いつも謙虚な姿勢で、朗らかに、喜んで相手の話を聞き、進んで相手の時間感覚に合わせて、安らかに「転ばぬ先の杖」を学んでVUCAの時代を乗り切ってゆこうではありませんか。