No.1187 ≪学ぶべき国 その2 イタリア≫-2021.11.11

IMF統計によると、1990年~2020年の30年間のGDPの推移をみると、イタリアの伸び率は1.6倍(日本も1.6倍)。直近10年間(2010年~2020年)を見るとイタリアの伸び率は0.9倍(日本も0.9倍)。
さらに、一人当たりGDPをみると、1990年~2020年の30年間のGDPの推移をみると、イタリアの伸び率は1.5倍(日本も1.5倍)。直近10年間(2010年~2020年)を見るとイタリアの伸び率は0.9倍(日本も0.9倍)。

世界銀行の統計によると、1990年~2020年の30年間の人口の推移をみると、イタリアの伸び率は1.0倍(日本も1.0倍)、直近10年間(2010年~2020年)を見るとイタリアの伸び率は1.0倍(日本も1.0倍)。

次に一人当たり年収を見ると1990年~2020年の30年間の推移をみると、イタリアの伸び率は1.0倍(日本も1.0倍)。直近10年間(2010年~2020年)を見るとイタリアの伸び率は0.9倍(日本は少し伸びて1.0倍)。
全く同じ30年間の結果となっています。姿かたちは全く異なりますが双子の兄弟と言ってもよいほどよく似ています。

しかし、まだ統計には表れていませんが大きな違いが生まれました。イタリアが悪法と言われた労働法の改革を2016年に実現したことです。
15人以上の企業に課されるとても厳しい労働法があります。一旦採用すると、よほどの正当な理由がない限り解雇できない法律が1970年に制定され、非常に硬直的な労働環境となり、割高な労働コストを強いられてきました。もし、解雇理由の正当性に意義があれば労働裁判所で解決することになっていますが、実際には解雇できない終身雇用制度が一般的だったのです。解雇された従業員が不服を労働裁判所に訴えた場合、正当な理由とは言えないと判決が出ると原則として原職復職となり、復職までの期間の給与及び賞与を割増で支給しなければなりませんでした。金銭での解決ができなかったのです。
15人未満の会社の場合は、様々な補償をしなければならないのですが、合法的に解雇することができました。つまり、お金で解決できたのです。
さらに、給料は3か月ごとにインフレ係数に連動する義務を負っていました。物価が上がれば賃金が上がり、さらにそれが物価に反映し賃金も上昇するというインフレ構造が内蔵された仕組みだったのです。
すると企業は15人未満の規模に成長を押さえようとします。需要が高まっても社員を採用するのではなく多数の15人未満の小企業又は個人に外注することで対応します。自ずと企業規模は小規模に抑えられてゆきます。
その結果、研究開発や設備投資、新規事業、新規分野の開発、販売網の拡充などが進まず、国際競争力が低下してゆき、活力のない内向きの小規模企業集団の国になったのです。外資はこの労働法を嫌ってイタリアには進出しません。外資がスルーするのでなおさら失われた20年になってしまったのです。

このイタリア病は政治家では解決できないと判断し、ベルルスコーニ首相の辞職を受けて、ナポリターノ大統領は2011年11月~2013年4月まで政治家でない大学教授マルコ・モンティ氏をスポットで首相に就任させイタリア改革を実行することにしました。その改革の一環としてイタリア経済を疲弊させていた労働法改革が実現したのです。その先駆けとなった労働法の権威であったマルコ・ビアージ教授は2000年に「労使関係の国際比較研究協会(ADAPT)」を設立し研究していましたが、左派テロリストによって暗殺されてしまいました。それほど「ある勢力」にとっては魅力的な労働法だったのです。身の危険を感じながらもマルコ教授の流れを汲み研究が継承され、やがてもう一人のマルコ、マルコ・モンティ首相誕生を機に頑迷固陋な労働法が一部改正されたのです。
15名以上の企業の解雇に対して金銭解決の道が開けたのです。他のヨーロッパ諸国と同等の労働環境となり、進出を諦めていた外資や域内企業が進出する可能性が出てきたのです。2016年1月から施行されました。実際にどのような効果が表れるのか関心を持ってみてゆきたいと思います。

その影響かどうか不明ですが、貿易収支を見てみるとグローバル化が進み大幅に改善されました。2011年までは赤字か少し黒字で世界ランキングでは200位前後でしたが、2013年以降ぐんぐんと改善され、2020年には世界ランキングで7位まで改善しました。ちなみに日本は19位でした。 改革するには「よそ者」「若者」「ばか者」が必要で、いつも辺境から起きるといいます。モンティ首相もイタリア北部工業地帯のミラノのボッコーニ大学の人です。日本のチャンスもいつ訪れるかわかりませんので、ベンチャーマインドを眠らせることなく準備したいと思います。