「ハラスメント」という言葉が耳に入るようになって約30年。バブル時代にアメリカから輸入された概念です。最初はハラスメントと言えば「セクハラ」の事だったように思います。最近は、なんと30種類もあるそうです。代表的なものはパワハラ、セクハラ、マタハラで、別名三大ハラスメントとも言います。モラハラ、ケアハラ、カスハラ、アルハラ・・・。
好意的な親しみを表現する時の昭和的なコミュニケーションの取り方や人とのかかわり方はハラスメントまがいのものが多いのでご注意ください。自分がどう思うかという自分起点ではなく、相手がどう思うかという相手起点のとらえ方が基本です。社会自体が多少「やんちゃ」だった昭和時代は言葉も結構荒っぽい言葉使いをしていたように思いますが、比較的おとなしい無害社会になった平成は言葉使いも優しくなったような気がします。
ハラスメントを気にするよりも人間としての修養をしておれば、自然とハラスメント対処ができるように思います。私が尊敬する人生の師に教えられ、習い性にしていることをご紹介します。
仏教に「和顔愛語(わがんあいご)」という言葉があります。
浄土真宗本願寺派のホームページでは次のように表現しています。
「和顔愛語は、「和顔」はやわらかな顔、「愛語」はやさしい言葉。つまり、文字通り、笑顔で愛情のこもった言葉で話すことです。この言葉は、学校での教訓になったり、額や書幅にも書かれたりして、おなじみになりました。この言葉は『無量寿経』に出てくる言葉です。法蔵菩薩が阿弥陀仏になるために修行に励んでいるところで、「和顔愛語にして、意を先にして承問す」とあります。現代語版では「表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手のこころを汲み取ってよく受け入れ」と訳されています。
親鸞聖人はこの経文を、『教行信証』にも『浄土文類聚鈔』にも引用しておられます。
お金や物がなくても誰にでもできるほどこしである「無財の七施」には、「やさしい言葉で相手に接するほどこし」や、「善意に満ちた和やかな顔と明るい姿で相手に接するほどこし」があります。
人間関係にはたいへん大切な態度ですが、心に余裕がなければなかなかできるものではありません。現代のような殺伐とした世の中では、なおさらですね。しかし、そんな世の中だからこそ、教えにあるように、相手のこころを汲み取ってよく受け入れ、「和顔愛語」を忘れないようにしたいものですね。」
倫理法人会では「純情」という言葉があります。
純情と書いて(すなお)と読ませるのですが、万人が幸福になれるルールを説いていますが、「これをつづめてみると明朗 ほがらか、愛和 なかよく、喜働 喜んではたらくことの3つであり、今一歩推し進めてみますと純情 すなおの一つになります。ふんわりと柔らかで、何のこだわりも不足もなく、澄み切った心、これを持ち続けることであります」、あらゆる出来事や生き物は宇宙の法則に従って一分一秒の狂いもなくめぐり動いているし、すべてが自由で平等です。ところが人間社会だけは貧富、貴賤、上下の別があり、健康な人、ひ弱な人、賢い人、愚かな人がおり、国が興亡し、文化の盛衰があるのは、人間がかってきまま、我儘をするから、そうなるのだと説いています。(万人幸福の栞 P9~10より引用)
例え、家庭内で妻や夫、子供にも、互いにわが師として尊敬し感謝し、丁寧な言葉遣いと所作で、明朗に、愛和に、喜働すればよいのです。職場でも、社会でも同様に行動すればハラスメントは起きないのです。
マジックフレーズに笑顔での「ありがとう」があります。
普通は何度も挨拶されるとくどく感じます。例えば、「おはようございます」 同じ人から「おはようございます」と事あるごとに言われたらどう思いますか? それこそパワハラ?と思ってしまいかねません。ところが、「ありがとう」や「ありがとうございます」は何度言われても不思議や不思議、くどくないのです。
例えばレストランで食事をして、会計に行くと、「ありがとうございます」、伝票を渡すと「ありがとうございます」、支払をすると「ありがとうございます」、レシートを渡しながら「ありがとうございます」、帰る時はもちろん「ありがとうございます」。店舗や会社によっては10回以上「ありがとう」というそうです。
「ありがとう」という言葉のすばらしさをミエルカしている方が結構おられます。例えば、二つのミカンを準備して、左右に置き、左のミカンにだけ毎朝「ありがとう」と声をかけ、右のミカンには声をかけません。これを1週間、2週間と続けると、「ありがとう」と声かけられたミカンは新鮮なままですが、もう一方のミカンは腐敗が始まるそうです。
功なり名を遂げるとついつい「自分が正しい」「自分が偉い」「自分は特別だ」「自分はこんなに努力している」「自分の力で皆を支えている」と、一人で成功したと思ってしまいがちです。ここにハラスメントの起きる芽が潜んでいます。誰一人として自分一人で成功できた人はいません。数えきれない多くの方々の力、目には見えないご先祖様の力があって初めて成し遂げられたのです。だって、自分一人でこの世に誕生する事は出来ないし、一口のごはんさえ自分一人で生産できないのですから。