春と秋に「実践人京都研修会」が33年以上前から定期的開催され参加しています。偉大な教育者であり哲学者である森信三師(1896年〜1992年)の薫陶を受けた方々の集まる場が「実践人の家」でそこに集う人が「実践人」です。ホームページによりますと「実践人とは、創開者である森信三の教学に則り、共に学び、実践し、自己の生き方を確かめつつ、いささか社会に貢献し、一隅を照らす使命の実現に努めようとする人たちです。
この世に生をうけた大恩にめざめ、『人生二度なし』の自覚に生き、『分』に応じてこの世の使命を果たし、『生』の充実を図る人たちです。言い換えますと、このような心願をもつ真の生活者です。
『日々の生活を真実に生きる人を ”実践人” という 』 すなわち、1.出逢いの不思議に感謝し、ともに手をつなぎましょう。2.師友に学び、自己を深め、磨きましょう。3.『人生二度なし』の真理に目覚め、日々の実践を重ねましょう。 こうした願いに生きる人たちです」とあります。
森信三師は、「礼を正し、場を清め、時を守る」を提唱し、「人生二度無し」「逆境は神の恩寵的試練なり」だから、恐れず進みなさい。「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」逢える。その一瞬の時のために謙虚になろう。それは「朝の挨拶は人より先に」し、「同僚より5分前に出勤」し、落ちている「紙くずを拾う」実践が手近で確実だ。「結局最後は世の為人の為というところがなくては真の意味で志とはいいがたい」と、心に響くアドバイスを下さっています。森信三師のアドバイスは沢山あり、その一つ一つが胸に突き刺さります。森信三師のアドバイスで利他道の稲盛和夫師、掃除道の鍵山秀三郎師、はがき道の坂田道信師など沢山の聖賢が見事な生き様を送っておられています。私も少しは近づきたいと教えを実践する日々です。
今回の研修会でいただいた資料の中で、とても印象深く心に響いたエピソードをご紹介します。ご存じの方は読み飛ばしてください。
「あるところに一人の商人がいました。その商人は4人の妻を持っていました。第1の妻は、いつもそばにおいてかわいがっていました。第2の妻は、美人で人と争って奪い取った妻でした。第3の妻は、時々会ってほっとする妻でした。第4の妻は、働き者のために埃だらけでいつもはその存在すら忘れている妻でした。
ある時、商人は長いキャラバンの旅に出ることになり、今度の旅は長くなるので、寂しく思い、妻を一人連れてゆきたいと考えました。そして、第1の妻を誘ったところ、『いつもかわいがってくださって感謝していますが一緒にはゆけません』と断られてしまいました。第2の妻を誘うと、『私はあなたが好きであなたの妻になったのではありません。だからそんな危険なところに行く義務はありません』と断られました。第3の妻を誘うと、『一緒に行くことはできませんが、せめて町外れまで送らせてください』と言いました。
最後に、仕方なくいつもは忘れている埃だらけの第4の妻を誘いました。すると、『私はあなたの妻ですから決して離れません。お供いたします』と言ってくれました。商人は第4の妻を連れて旅に出ました」
このエピソードはお釈迦様が考える「あの世」を見事に説明しているといわれます。
商人とは「あなた」です。そして旅とは「死出の旅」です。いつもそばにおいてかわいがっている第1の妻とは「あなたの肉体」の事です。あの世へは肉体は一緒に行けません。美人で人と争って奪い取った第2の妻とは「あなたの財産」の事です。あの世へは財産は持ってゆけません。時々会ってほっとする第3の妻とは親族の事です。町外れとは「あなたが入る墓地」の事です。
そして、いつも埃まみれで働き者の第4の妻とは、もうわかりますね? そうです。「あなたの心」の事です。心はあなた自身ですから離れようがないのです。だから、あなたが長旅に連れてゆけるのは「こころ」だけなのです。普段は気にも留めずに粗末にしていますが、最も大事なものが「こころ」です。
スリランカでは結婚式前日のお祝いに唱える次のような「お経」があるそうです。
「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬する事。これがこよなき幸せである。」
「深い学識があり、技術を身に着け、身を慎むことを良く学び、言葉が見事である事。これがこよなき幸せである。」
「父母に仕えること、妻子を愛し護る事、仕事に秩序あり混乱せぬこと。これがこよなき幸せである。」
「施与と理法に適った行いと親族を愛し護る事と非難を受けない行為。これがこよなき幸せである。」
「尊敬と謙遜と満足と感謝と時に教えを聞くこと。これがこよなき幸せである。」
「世俗の事柄に触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏である事。これがこよなき幸せである。」
「なるほど!」と唸ってしまいます。いずれも第4の妻「わが心」を磨くことに繋がります。大事なことは、「知った事、気づいたことを『実践』できる」のは、肉体を持っている今だけだという厳然たる事実です。実践がいかに大事か改めて認識しました。