エピソード1
古代中国では天災地変-特に洪水-や外敵来襲が起きる原因は為政者に徳がないからだと反乱がおきて国が滅びました。為政者は森羅万象の変化を察知する技術を追い求め、天文学が研究され、易占が発達し、統治方法として律令(行政法と刑法)を作りました。洪水が起きないように莫大な費用をかけて地形を大きく変える治水事業を敢行しました。騎馬民族の来襲脅威を防ぐために、あの万里の長城の建設を成し遂げました。その長さは21196kmで地球の半周、日本列島の7倍もの気の遠くなるような遠大なものでした。
エピソード2
古事記によると、第16代仁徳天皇が国見儀礼のため丘に登り民家を眺めると炊事の煙がたっていなかった。国民(大御宝:おうみたから)が困窮していることを知り、納税と労役を3年間免除し、宮殿が雨漏りしても直さず暮らしたとされています。3年後、民家に炊事の煙が上っているのをみて、納税と労役、宮殿の修理をしたところ、一人として不平を言うものはなかったと言います。
翻って、中小企業経営において重要な考え方は原因自分論と現状否定です。
会社においては「猛暑&ゲリラ豪雨、取引先の倒産、若い社員の退職、クレームの発生等すべて社長が悪いから。業績の好調、お客様の評判、開発商品のヒットはすべて社員のおかげ」と考えるのが「原因自分論」です。家庭に問題が起きるのは親が悪いから、うまくいくのは子のおかげ。個人においては良いことも悪いこともすべて自分の選択次第、人生の主役は己自身。これが原因自分論の考え方です。
ここから一歩進めると、理不尽なことも、不合理なことも、納得いかないことも、すべて清濁併せ飲み、原因自分論で歩んできたからあなたの会社が今も存続しているのであり、原因他人論で行動しておれば既に消滅しているはずです。規模の大小、内容の善し悪しではないのです。イマ「存続」していることがとても重要なのです。
だから「過去はすべて正しい」のです。過去善ともいわれますね? 社長であるあなたの打った手、行動した足跡はすべて正しかったのです。運もツキもあなたに与えられたものではなくあなたが引き寄せたものです。赤塚不二夫が描く「天才バカボン」のパパは「それでよいのだ!」と言っています。ヒトの評価は感謝して尊重し、必要なら取り入れればよいし、そうでなければ放置すればよいのです。あなたの人生の主役はあなたですし、あなたの人生に責任を持てばよいのです。
謙虚に原因自分論に立てば、自分以外の他者への感謝も自ずと沸いてきます。最大の敵はあなたの「我儘」です。
過去は全肯定。しかし、未来は現状の延長線上で良いかというと、これがまたそうではないのです。未来は現状否定、もっと言えば全否定からしか生まれません。
では、何を現状否定するかというと、一つだけです。つまり、より良い仕事のやり方に改善するために今のやり方で良いのかと否定することです。自分がとらわれている考え方や振る舞いを否定し変えることです。未来は神の領域です。天とも宇宙ともサムシンググレイトとも言いますが、未来は無限の可能性を秘めた全肯定の領域です。その未来を確実にする責務が人間、分けても、人の上に立つ立場にいる社長であるあなたの仕事です。未来は現在からしか行けません。現在に生きる他人はすべて全肯定で受容する。SDGSの本質はここにあります。
今の仕事のやり方は長い歴史の積み重ねで、多くの人々の努力と工夫で改良に改良を重ねて出来上がっています。日本であれば建国以来2683年の時間をかけて今があります。創業100年の会社であれば100年の時間をかけて今のやり方になっています。次の10年、100年も今のままでよいかというと「それでよいのだ!」とバカボンのパパも言わないでしょう。今のやり方を作ってくれた先人に敬意を表し、同時に未来に向かうあなたは全否定し、より良く変えることで未来に責任が果たせます。
「過去と他人は変わらない。変えることができるのは自分と未来だけ」なのです。
仕事のやり方は1年で見直し、2年で改善し、3年で新しくすることが原則です。道具の発達、環境の変化、価値観の進化で変わるからです。馬車がガソリン車になりEVになり無人運転になりました。空には無人ドローンが飛び交っています。世界中はネットでつながれ瞬時に情報が拡散します。コンピュータもオフコンからパソコン・スマホへ、デジタルから量子へ進化しています。激変する環境変化の時代に現状維持は退歩とはこのことです。仕事のやり方は現状否定するところからしか改善が進みません。格式高い神社仏閣の作法や祝詞でさえ時代の流れを受けて変化しているのです。
注意すべきは不易と流行(変えてはいけないものと変えないといけないもの)です。仕事のやり方はどんどんと変えてゆかねばなりません。しかし、社長がヒトを変えようとしてもヒトは変わりません。ヒトは自ら気づいた時に変わるのです。自分すら変えられない社長にヒトを変えられる道理がありません。それは変わったのではなく面従腹背、変わったふりをしているだけです。ヒトを変えるではなく愚直に自分を磨くだけで良いのです。社長の私利私欲や打算のない行動をみて、ヒトは気づき自分も近づきたい、変わりたいと思い、少しの勇気を奮って行動し、それがきっかけになって変わるのです。ここを間違えると、消滅の危機、つまり死地に陥ります。