No.1315 ≪人育ては「水辺の馬作戦」でゆこう≫-2024.6.6

イギリスの諺に「馬に水を飲まそうと水辺に連れてゆくことはできるが、飲むとは限らない」とあります。英語で言えば、You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.
この言葉は様々な場面で教訓的に使われていますが、特に中学校や塾、人材育成部門やセミナー会社、婚活相談所などに多いようです。
本人のためを思って周囲の人がいろいろと心配して気配りして支援するのですが、当の本人にはその気がなくて一向に行動しようとしない。どうすれば、水を飲んでくれるんだろうと悩んでいるのです。
これによく似た言葉が李白の詩にあります。世にいう「馬耳東風」です。「世人之を聞けば皆頭をふり、東風の馬耳を射るが如き有り」。つまり、東風というのはかぐわしい春風の事で、東風が馬の耳を吹きぬけても、馬になんの感動もない、困ったことだ。翻って、他人のアドバイスや批評などを聞いてもまったく心に留めず、少しも反省しないことのたとえに使われます。そういえば「馬の耳に念仏」とも言いますね。
「そんなに飲みたくないならほおっておけばよいではないか。子供じゃあるまいし。甘やかせてはろくなことはない」という声も聞こえてきそうです。

学校教育において「馬に水を飲まそうと水辺に連れてゆくことはできるが、飲むとは限らない」ことが顕著になるのは中学校です。それは自我が芽生える反抗期と関係しています。小学生のころは素直に言うことを聞いてがんばっていた「良い子」が中学生になると言うことを聞かなくなる。親から見れば反抗しているように見えるので反抗期と決めつけてしまいがちですが、子供の側から見れば、集団生活をするうちに社会というものが少しづつわかって、自分の実力や好き嫌いや得手不得手もわかってくると次第に「自分の考え」というものが芽生えてきます。頭ごなしに決めつける親の言うことを素直に納得できなくなるのです。これは子供が成長軌道に入っている証拠ですから大変喜ばしいことなのです。ところが指導する立場からすると「あなたの為を思ってやってあげているのにどうして素直に聞いてくれないの? “コマッタちゃん”だね」となります。子供の自主性を無視して親や教師の価値観を押し付けているのです。選択肢を準備して自主性を尊重すればよいのです。親や教師も子供の頃があったので思い当たる節があると思うのですが、都合よく忘れるのかもしれません。

会社では人材育成の鉄則があります。「会社は成長の機会と環境は提供できるが、成長までは保証できない」。
1980年代中盤までは「学校は教養も含めた勉強する所、会社は仕事をする所」でしたが、それ以降になると「会社は一人前の教養ある社会人にする所」に変わりました。人材育成の機能が会社にシフトしたのです。会社は社員に成長してほしいと願っています、本人の為にも家族の為にも。社員の成長とは業績を上げる力量を身に着けることです。業績とは営業部門、生産部門、開発部門、業務部門、購買部門、総務部門、経理部門、、、それぞれの部門で求められる指標や専門スキルを身に着けレベルアップすることで得られます。そのために機会を見つけて階層別教育のヨコ糸と適性や力量に応じた個別教育のタテ糸を織り成せるよう環境整備します。「馬を水辺に連れてゆく」のです。ところが、なかなか素直に飲んでくれません。
少子高齢化が進み、団塊世代が大量に引退した21世紀にはいると、第三世代の団塊世代(今のデジタルZ世代)は「会社は仕事ができるようにそれぞれの個性に合わせて教えるのが当たり前で、うまく仕事ができないのは会社の教え方がまずかったり体制が整っていないからだ」と言うようになりました。
「何ために仕事をするのか」と叫びたくなります。上昇志向で傷つくより、ほどほどで平和な方を選ぶ若いデジタルネイティブが多数派を占めているのではないでしょうか。しかし、若いデジタルネイティブは納得さえすればとても素直で優秀な人たちです。この点を活かさない手はありません。

会社では資格がなければ仕事できない業種が沢山あります。いかに「資格取得」できる社員を増やすかは経営の根源的かつ喫緊の問題です。
ある設計事務所は、社員に1級建築士資格を取得してもらうために業務を制限して、試験勉強の時間を確保した上で、資格取得専門学校に通わせています。学費も全額補助し、合格したらお祝い金も支給しています。資格は個人ライセンスですから社員が辞めれば会社には何も残らないのですが、それでも長い目で見れば資格取得の支援をすることが会社の業績向上と個人のキャリアップの役に立つと思って投資しているのです。もちろん月々の資格手当も支給しています。目的意識を持った社員の合格率は高いですが、そうでない場合はなかなか合格できません。国策で有資格者を調整している影響で年々合格率は低くなっています。覚悟を決めて相当集中して勉強に取り組まないと合格できません。その集中できる時間をいかに生み出すかは「本人次第」です。プライベートの時間もすべて勉強時間に充てなければ合格はおぼつきません。もし家庭を持って居れば、家族の全面的な協力が必要になります。

これからの教育のポイントは「入社3年以内」に動機付けして、20代の内に資格取得を奨励することです。若いデジタルネイティブは入社早々の新鮮な間に、適性と個性と得手不得手を踏まえて「この仕事にチャレンジしませんか。そのためにこの資格を取りませんか。会社はこんな制度を準備しますよ」と動機付けすると、納得すると一所懸命に頑張ってくれます。そして、定期的に面談フォローすることでますます成長してくれます。
「水を飲ます」のは本当に大変ですよね。しかし、手間暇かかりますが急がば回れです。

社員一人一人の個性や能力や適性や価値観や考え方が違いますし、社内の置かれている立場や環境や人間関係も異なりますし、プライベート面のバックグランドもキャリアビジョンも夢も異なります。成長のきっかけはいつやってくるか本人すらわからないものです。会社ができることは一人一人の社員の適性を考慮して伸ばす方向や成長の可能性を見すえた選択肢を準備してタイミングを見て動機づけをすることです。これしかできません。
このように書くと無数の選択肢が必要に思えるかもしれませんが、会社の業種特性や経営理念に共鳴した社員の集団ですから、選択肢は自ずと限定されます。

人が動くには「頭の納得(ロジカルシンキング)」と「心の納得」が必要です。頭の納得はシステム化できますが、心の納得は良好な人間関係づくりにつきます。それは一人一人に関心をもって日頃からよく観察しておればおのずと見えてきます。上司が部下にプライベートな質問をすると尋問になってしまいますが、自然と相手から話しかけてくるようにふるまえば質問する必要もなくなります。本音が見えれば動機づけのチャンスが生まれます。つまり、「水を飲もう」とします。

教育界の泰斗である森信三師は「人間は一生のうち、逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」「教育とは流水に文字を書くような儚い業である。だがそれを岩壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。」と喝破しておられます。果たして私たちはこの真剣さで社員を見ているでしょうか?