「胎内記憶」という言葉をご存じの方も多いと思います。科学的には市民権を得ていないようです。信じる信じないは個人の自由ですが、私はとても納得して信じています。胎内記憶とは生まれるまでの記憶で、一般的には3歳ごろまでは記憶を持っていると言われています。そして胎内記憶は日常生活の記憶が優先され次第に消えてゆくようで、3歳以降は覚えていない人が多いようです。中には大人になっても記憶を保持している方もおられます。この「胎内記憶」についての第一人者は産婦人科医の池川クリニックhttps://ikegawaclinic.net/sites 池川明先生が有名です。
胎内記憶は子供が小さい時に運が良ければ聞けるかもしれません。どの子も話してくれるわけではないようです。
お母さんとお子さんの会話のイメージです。
「〇ちゃん、教えてくれる?」
「いいよ」
「生まれる前はどこにいたの?」
「あのね、お空の上で、神様とみんなと一緒にいたの」
「ふーん。〇ちゃんはどうしてお母さんに処に来てくれたの?」
「だって、お父さんもお母さんも優しそうだったし、行きたいなとおもったの」
「ふーん。お母さんのおなかにいた時に何か見えた?」
「あのね、お母さんがうーんて言って、お父さんがお母さんのコップの水を飲んだの」
「へえ、お父さんはいつ飲んだの?」
「あのね、〇ちゃんが生まれるとき」
そしてここからは私の考えです。
天国(〇ちゃんは空の上と言っていますが)ではこの世にやってくる予定の子供たちが神様と一緒に時間を過ごしながら、神様がどの親の元に生まれるかを子供たちと相談しています。
子供たちは神様からこれから行こうとするお父さんとお母さん、その後の人生についてのビジョンを見せてもらいます。生まれてからなくなるまでのいろんなビジョンが示されています。
神様が言います。「これから君たちがゆくお父さんお母さんと生まれてからのビジョンをみせよう」
見終わると神様は「今のお父さんとお母さんのところに行きたい人いるかい?」と立候補を募集します。
誰かが手を挙げて立候補します。
「僕がゆきます」
神様は「ほう、君かい。さっきも見たように、君は重度の障碍をもって生まれることになるんだよ。歩くことも話すことも満足にできないし、いつも誰かのサポートなしでは片時も過ごせない。それでもいいの?」
「はい。ゆきたいです。僕は前の人生で、お父さんとお母さんの温かい愛情に育まれ何不自由なく育ててくれて、健康的でスポーツ万能の豊かな人生を送ることができました。多くの人々と交流して様々な活動をすることで心豊かな人生を送ることができました。その人生では様々な障害を持った人や満足に食べることもできない赤貧生活を強いられている人にも出会いました。僕はもっともっと魂を磨いて成長するために、僕の身代わりになってくれた人の人生を今度は僕が引き受けたいと思います」
神様は「君の決意は立派だが、苦労するよ。大変だよ。もう一度ゆっくり考えて決めていいんだよ」と。
「いいえ、僕はあのお父さんとお母さんの子供になりたいんです。行かせてください」
そして、この世にやってくるのです。
この世に生まれる赤ん坊は一定割合で皆が羨望する稀有な能力を持つ子やできれば避けたい障碍を持つ子が生まれると言われています。不思議な神の摂理、宇宙の真理と言えます。障碍をもって生まれる子は日本では古来より「福子」「宝子」「福助」などと呼ばれ大切に育てられたり、「鬼子」と呼ばれ遠ざけられたり、とらえ方によって両方の意味がありました。
子供は両親を選んでやってくる。稀有の才能を持った子なら喜び、障害を持った子なら「選ばないでくれ」と思う親もおられるでしょう。しかし、胎内記憶を信じることで救われる方が少なくないことも事実です。私の周囲にも、大人になって壮絶な境遇を生きる方が胎内記憶の話を聞いて納得し、受け入れることで自分の人生をポジティブに前向きに生きることができるようになった方がいます。
ある時、道端にゴザを敷いて物乞いをしている人がいました。私はそれを見て「物乞いできるんだったら働けばよいのに」と見下していました。そんな私を見ていた先輩が「君に物乞いができるかい? できないだろう。あの人もやりたくてやっているのではないと思うよ。もしかしたら君が物乞いの人生を生きなければならないかもしれないんだよ。彼らは私たちの身代わりなんだよ。感謝しないとね」とアドバイスされました。
不思議と腑に落ち、それからは物乞いを見かけると「ありがとう」と布施をするようになりました。
一番の汚れ仕事、例えばトイレ掃除のおばさんは実はマリア様の化身かもしれないのです。おじさんは阿弥陀様の化身かもしれないのです。自らの魂を磨くためにやっておられるのかもしれませんね。