No.1326 ≪コメ不足?をチャンスに変える≫-2024.8.21

コメ不足が話題になっています。日経新聞も「令和の米騒動」と報道しています。スーパーのコメコーナーは空棚が目立ち入荷待ち表示になっています。買う場合も個数制限があるので必要量を買えません。価格も昨年より割高です。Amazonではメーカーや銘柄・産地によって多少の差はありますが、概ね1Kg当たり900~1000円です。大手ネットスーパーではほとんど在庫なし(予約も不可)の状態が続いています。
これは一過性の欠品状態で全国的に新米が出回る10月ごろには解消される見込みですが、当面はコメ確保に苦労がありそうです。なぜこんなことになったのでしょうか。

主な原因としては、①補助金による生産調整(減反政策や他の作物への転作)のボディーブロー、②生産者の高齢化による人手不足、③アフターコロナと円安によるインバウンド需要増大、④記録的猛暑でコメ品質の低下、⑤好調な輸出があります。
農水省は「作況指数は昨年並みだから心配無用」と言っていますが、これにはトリックがあり、上位等級の玄米ベースの調査なので、昨年並みの作柄としても、猛暑の影響で精米すると白濁した品質的に主食に耐えないものが多いのも事実のようです。

また、大手スーパーの納入業者はコメ不足の中で大量のコメを確保すると足もとを見られてコストが合わず相当な赤字になるようです。かといって無制限に価格を上げるわけにもゆかず、結果として欠品状態が続いているのではないかと思います。消費者もコメ不足報道や災害報道で備蓄も兼ねて普段より多めに購入する無意識の買占め意識も重なっているでしょう。
また、高品質米の代名詞ともいえる「コシヒカリ」は高温に弱いため、今年のような体温を超える異常気象が続くと1級合格米は全体の1割程度しかないそうです。これに対応すべく品種改良された「新之助」は同じ異常気象でもほとんどが1級合格品になるぐらい環境適応しているようです。日本の品種改良技術は素晴らしいです。

今回の米騒動で初めて知ったのですが、流通業界における変な商習慣が米騒動に影響しているそうです。スーパーでは精米後に一定期間経過したコメは納入業者に返品されるというのです。ここからは私の想像ですが、コメは精米して常温保管すると「コクゾウムシ」というアリのような虫が大量に発生することがあります。私は農家の出身なので、「コクゾウムシ」が発生するのは当たり前で、逆に農薬の影響がなく安全だと思っていましたが、知らない方がみると、袋の中でうごめく黒い虫がうようよいると絶叫するかもしれません。クレームを受けたスーパーがその対策として精米後2か月程度で返品するようになったのではないかと思います。コンビニで販売しているコメは0.5~2kgの小袋なので虫の発生もコントロールしやすいため、賞味期限が長いのではないかと思います。

今回のコメ騒動も「のど元過ぎれば熱さ忘れる」状態になり、忘却の彼方に先送りしてしまうと、もっと深刻な事態が突然やってくると思います。これは今までのやり方が制度疲労を起こしており、変革の転換点を迎えていると思わねばならないと痛感します。
統計的にはコメだけは自給率100%で輸出できる余力があったのですが、それが今は一時的なものとはいえ蒸発してしまいました。コメ騒動の原因として上に上げた①~⑤のうち、①と②は構造的な問題で一朝一夕に解決しません。国は政策転換を推進し、事業者は強烈な意識変革を数年努力しないと微動だにしないほどの岩盤構造です。
コメを生産しない人に補助金を出していた減反政策からコメを生産する人に補助金を出す増産政策に切り替えるべきだと思います。それも高品質で付加価値の取れる日本ブランドを高値で輸出するコメ作りを推進する政策が必要です。20年ほど前に中国蘇州の工業団地内の日本食マーケットで、日本のコメを2000円/kgで売っていました。日本国内では300円/kg前後だったと思います。農薬漬けのコメを食べて苦しんで死ぬより多少高くても安全安心でおいしい日本のコメは支払うに足る価値があったのです。

1955年の農地面積(田畑)は601万haを604万人で耕作していましたが、2020年には432.5万haを175万人で耕作しています。面積で△28%、人数で△71%です。農家の平均年齢は統計のある1995年で59.6歳、2021年で67.9歳と25年で8歳も上がりました。農業生産法人は年々増加しており好ましい状況ですが、さらに生産性の高い収益ビジネスにするには、農地売買の自由化や開発許認可の簡略化が必要です。区画整理に必要な法整備も柔軟に行わないと農業の自給率はどんどん低下し、将来は食べるものがなくなる可能性すらあります。

私が育った農家は、村では小規模な方でしたが、田んぼが5か所13枚に分散していました。それも小規模な棚田や耕運機が入らない田んぼでした。田んぼに川から水を引く水路の整備はすべて人力に頼っていました。見栄っ張りな人たちが多かったこともあり、各家庭に耕運機や稲刈り機、田植え機等の文明の利器がありました。機械のローンと生産収量が見合っておらず町に働きに行ってローンを払う状況でした。生産性以前の状態で、先祖の残してくれた田んぼを精神力で続けていたといっても過言ではありません。そこには経営やビジネス、生産性、収益といった概念はなかったのです。このような農家に支えられて一所懸命に生産したコメは需要を上回る供給量となり、古米、古古米、古古古米まで備蓄することになりました。余剰米に困った政府は減反政策をとることで需給調整を行いました。農家は年齢とともに農作業がしんどくなっていましたので自給用米だけ作り残りは補助金をもらって草をはやすことを選択したのです。近所の手前、草をはやすのもまずいと思った方は畑に変えて野菜を生産しました。機械の借金しか残らない農業よりも町に働きに出た方がよいので、農家の多くは兼業農家になりました。これによって、田んぼを改良して大規模農家で生産性を上げて高収益を出す発想が生まれなかった結果が今だといえます。

米騒動のような転換期を迎えている様々な政策やシステムがまだまだありそうです。これをチャンスに変える動きをしてゆきたいものです。