フジテレビのコンプライアンス問題で大騒ぎ。世界はトランプ政権始動のドラスチックな話題で持ちきりですが、日本では三面記事的話題が延々と堂々巡りで同じような質疑応答がだらだらと長時間生放送されるという異常事態が起きました。1月27日(月)の出直し記者会見は16:00から26:30まで約10時間以上かかったそうです。問題の本質はシンプルなのに、奥歯にものが挟まったようなあいまいなやり取りに、放送のプロで、エリートジャーナリスト集団のフジサンケイグループの対応としては何とも時代遅れの幼稚で「哀れな時間」でした。70代以上の代表取締役の会長・社長に対して質問者から「使いパシリ」呼ばわりまでされる会見は見るに堪えませんでした。
企業経営における創業家と非同族実力者の対立、そこから派生する権力闘争の歴史はいままで幾度となく繰り返されてきました。企業にとって対立構造は良い方に機能する場合と悪い方に機能する場合があります。往々にして悪い方に向かうのが一般的ですが、その場合は「因果は巡る糸車」と言われるように数度繰り返されるものです。権力が集中した独裁体制が完成してしまうと必ず組織はものの見事に腐敗し衰退し没落します。内圧による自浄作用が働かないからです。それを教訓に蒙を啓き変革できれば大飛躍することが可能ですが。
まずうまくいった事例:住友家の場合
1585年に住友政友が京都で創業した住友グループは銅の精錬技術で現在に続く一大財閥に成長しました。その過程で大きな転換点を迎える人物が現れます。それは、1837年、11歳で叔父に連れられ別子銅山に奉公にあがった広瀬宰平です。彼はその才覚を高く評価され、近代化を推進し、1877年創業家から全権委任された総理代人にまで昇進します。異例の人事です。しかし、次第に独裁化し、創業家改革を推し進め対立します。創業家の希望する銀行業進出に否定的で、手掛けた事業も芳しくなく公害対策も後手に回り、後継者を甥の伊庭貞剛(当時33歳)に委ね辞任します。1894年のことです。
後継者の伊庭貞剛は警察官僚出身で創業家が希望する銀行業を手掛けるとともに、公害対策として無人島への工場移転を成功させ、後地に植林して林業(現住友林業)を手掛け偉業を成し遂げます。公害問題指導者の田中正造をして「銅山の模範」とまで言わしめました。43歳の時に創業家の相次ぐ急逝に際し、創業家の家督相続に奔走しそれを成し遂げます。53歳でグループ総裁の総理事に昇進します。
「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなくして、老人の跋扈である」と喝破し、58歳で全役職を辞任し惜しまれながらも勇退します。資本と経営の分離の良いモデルといえます。
権力が集中して独裁すると「必ず腐敗し、崩壊する」のは世界の歴史の教訓です。わかっていても教訓に学ばないのは人間の弱さかもしれませんね?
まずい場合:フジサンケイグループの場合
フジサンケイグループ議長の鹿内信隆氏は、戦前は現クラレに入社し、戦中は海軍経理学校の将校として多くの企業経営者とかかわり、戦後は現ニッシンボー社長だった桜田武氏と日経連を設立しました。戦後の過激な労働運動に対峙して日経連を支え、財界の支援を得て1954年にニッポン放送を設立。一方、カトリック教の布教を目的に設立された文化放送がまずい経営で苦境に立っていた時に赤化を恐れた財界が共同出資して水野成夫氏(当時日本国策パルプ、現日本製紙副社長)を社長に迎え1956年に設立しました。フジテレビはニッポン放送と文化放送が共同出資して1957年に設立・開局し、水野成夫氏が社長を兼任しました。
産経新聞は新聞販売店から身を起こし戦前に南大阪新聞(後の産経新聞)、日本工業新聞を創刊した前田久吉氏が創業しました。戦後は大阪と東京の2本社制で発行し、空撮強化のために設立した航空部は今のJALグループに発展しましたが、東京進出コストがかさみ経営が悪化、住友銀行の堀田庄三氏の仲介で、1958年に水野成夫氏(現日本製紙)が社長を務める文化放送、フジテレビに売却されました。
1968年に水野社長が体調を崩して引退した後を引き継ぎ、夕刊フジで一世を風靡し、フジサンケイグループのトップに君臨したのが鹿内信隆氏です。2代目議長の鹿内春雄氏は1988年42歳の若さで急逝し、その後継を娘婿の鹿内宏明氏が議長に就任しました。オーナー家支配に終止符を打ったのが労働組合を立ち上げた実績があり局内で頭角を現した現相談役の日枝久氏です。鹿内宏明氏は1992年産経新聞の取締役会にて突然解任されたのを機にすべての役職を辞任しました。今の日枝王朝の始まりです。次は、いつ解任されるのでしょうか。まさに「因果は巡る糸車」です。
私も過去に身近に「因果の巡り」を目撃し経験しました。創業家の後継者は実力本位の非同族とする宣言され、頭角を現したT氏は改革を押し進め、次第に権力が集中しました。一挙手一投足が注目され忖度されました。すると対立するI氏は業績を飛躍的に向上させてT氏を排除し追い出しにかかりました。権力闘争の結果、T氏は辞任され会社を去りました。すると、今度は創業家回帰によりI氏が排除され追い出されました。異論を戦わせよりよい方向に向かうことはとても健全で大事なことですが、いったん排除の論理が働いてしまうと単なる権力闘争になってしまい組織は崩壊します。
フジテレビの騒動から私たちは学ばねばならないことがたくさんあります。