No.1235 ≪平成に「バブル経験」をいかす≫-2022.11.2

今後どのようなことが起きるのかを妄想するには、過去を観察するのが一番。妄想して予想して構想するのです。
今話題になっている「円安」という現象は1985年9月のプラザ合意以降から観察するとよいです。土光敏夫氏による行革を成功させ、「JAPAN as NO.1」と言わしめたころがプラザ合意の時代背景です。
プラザ合意前の為替は1$=237円でしたが、それ以降、多少の変動はありますが、一貫して円はドルに対して強く、約30年間「円高」基調で推移しました。1994年7月にはなんと100円を切り、1995年5月には90円を割り込みました。その後100円台に戻り、110円前後で推移しましたが、2001年9月のNY同時テロ9.11の時は安全保障の観点で軍隊のない日本の円より軍事最強国のアメリカのドルが強く120円台になりました。2003年8月ごろから5年間は110円台で安定しました。小泉総理政権時代です。郵政民営化、道路公団民営化という改革を断行した時期と重なります。ところが、あのリーマン・ブラザーズ・ショックをきっかけに経済的信用力で勝る円が支持され100円を切り、90円、80円、70円と逓増し、2012年12月のアベノミクスによる黒田バズーカ発動まで4年間「超円高」が続きました。

その間に日本企業が環境対応する上で取った戦略は、グローバル化です。いわゆる製造拠点の海外移転です。プラザ合意後は大手メーカーが生産拠点を海外に移しました。これが第一次海外移転です。1990年代に入ると大手メーカーに納品する部品メーカーが追随し第二次海外移転が始まりました。さらに2001年になるとWTO加盟を果たした中国をはじめBRICs等の新興国による「円高」で第三次海外移転が始まりました。さらに2008年9月のLBショックに端を発した世界通貨危機による急激な「円高」による第四次海外移転が始まりました。経済産業省によると2020年の製造業の海外生産比率は23.6%に上ります。

1985年9月のプラザ合意から2022年9月までの37年間の間にバブル景気があったのはご存じの通りです。バブルが起きた要因はまだ完全に解明されたわけではありませんが、一つは為替問題。円高による輸出型製造業が業績悪化に到り、内需拡大にシフトしたこと。円高不況対策として政府が積極財政をとり投資促進、内需拡大、住宅・不動産の優遇策を打ち出したこと。その結果国内で行き場を失ったお金が不動産はじめ高額消費への投機に回った事。人材採用は売り手市場で賃金を上げなければ応募がなく、人手不足による黒字倒産がふえたこと。いろんな問題はありましたが、GDPは年率約5%成長を続け、賃金は年率約6%上昇し、物価も約3%上昇しました。今、日本が最も手に入れたい果実がバブルのころは実現していたのです。

為替という国力の強弱や地政学的要件等によって決まる現象に対して、企業は具体的に対応することで生き残り成長発展を目指すしか方法はありません。莫大な投資リスク、カントリーリスクを負ってでも生産拠点を海外移転することで今の繁栄を勝ち取ってきたことは紛れもない事実であり、最も正しい選択だったのです。
しかし、バブル崩壊以降の「円高」は、東洋の奇跡と言われた戦後の高度成長の余韻と貸借対照表における巨額の外貨準備によるもので、少子高齢化と人口減少による国力減衰は明らかでした。

2022年に入り、アフターコロナの始まりと権威主義国の台頭による戦時情勢下で、FRBと筆頭に先進国のインフレ抑制のための利上げ基調で、今までのメッキがはがれた如く現象化した1$=150円という急激な「円安」をどうとらえるか、今に生きる経営者は問われていることになります。
この円安がいつまで続くか誰もわかりませんが、恐らく、国力、中でも国の勢いが盛んになるまでは継続するのではないかと思っています。人口減少とバブル崩壊以降30年に及ぶデフレ下で低価格、低賃金に慣れ切って国力を減退させたことは否めません。

経営者が、いかに高度で精密な情報を分析しても、意図せざる変数が多すぎるため正解はありません。しかし、多面的に、長期的に、根本的に考え、会社の経営理念や経営哲学に基づいて、経営者の個性を活かせる決断をすることが最も重要だと思います。目に見えるデータや証拠に基づいて論理的に出した結論が必ずしも会社の発展に寄与するとは限りません。一つは、アベノミクス以降に現象化した製造拠点の国内回帰は一つの解ではないかと思います。今後、この流れは大きなトレンドになると思います。国内の設備投資、人材投資、DX投資が活発になること間違いなしだと期待しております。

ここからは私のかってな考えですので、不要な方は読み飛ばしてください。
潮目が変わったのです。世界人口が70億人を超え、世界中に格差が蔓延し、貧困問題と環境問題を乗り越えて、持続可能な地球を手に入れるにはどうすればよいかと人類が真剣に考えた結果、出した答えが、2015年に国連で難産の末に奇跡的に採択されたSDGSです。具体的にSDGSが動き出した時、武漢でコロナ禍が始まり、世界中が動きを止めました。考える時間をもらったのです。コロナ禍による経済損失は最低でも全世界で170兆$(2京5500兆円)です。コロナ禍の出口が見え隠れしたころ、米中2大覇権国のせめぎあいの中で、古くて新しい欧州問題ともいえるロシアの南下政策による戦争勃発です。これはイギリスの地政学者マッキンダーのハートランド論、つまり、「東ヨーロッパを支配するものがハートランドを支配し、ハートランドを支配するものが世界島を支配し、世界島を支配するものが世界を支配する」と重なって見え、今後も地政学的な問題を引き起こしてゆくでしょう。
このような潮目が変わった時代に、為替の動向とは別に、海外に目を向けて、海外の取引先、その友人知人の縁を伝って海外をもう一度自分の足で歩いてみませんか。ビジネスになるかならないかは別にして、「先義後利」「三方よし」の見地から「世助け」「人助け」ができないかどうか。3年間の鎖国生活でどのような変化が起きて、どのようなニーズが誕生しているか。今後の企業経営に必ず大きなヒントを得られると思っています。