No.1221 ≪未曽有の変化をどう生きるか≫-2022.8.1

1996年12月に目加田経営事務所を創業して今年で25年。1983年12月に経営コンサルタントになってからでも今年で39年になります。この間、実に様々なことがありました。
最も大きな環境変化はなんといってもバブル経済とその崩壊です。

1986年〜1990年にかけて大フィーバーしたバブル経済は財テクをしない経営者は無能経営者ともいわれた時代です。オイルショック後の低成長不況時に社会に出た私は厳しい経済環境しか知りませんでしたから、1983年に経営コンサルタントの見習いになり多くの経営者の方々と交流させていただく中でバブルが育つのを目撃しました。景気の良い話が飛び交い未来はバラ色に見えました。多くの経営者が事業拡張を計画するように株に投資し、債権に投資し、土地に投資し、不動産に投資していました。そして、そのことごとくが値上がりしました。日経平均株価の推移をみるとその激しさがよくわかります。1983年12月9,893円、1984年12月11,560円、1985年12月13,129円、1986年12月18,989円、1987年12月23,281円、1988年12月30,264円、そしてピークを迎えたのが1989年12月38,957円です。わずか6年で1億円の資産が4億円になったのです。大阪の料亭女将が金融機関から2兆7736億円借入していた時代です。借りる方も問題ですが貸す方はもっと問題で、今から思えば皆が狂っていました。

バブルが起きた原因の一つは為替問題です。1972年のドルショックによる為替自由化で1$=360円がどんどん高くなりついに1985年には239円にまで高くなりました。高品質低価格の製品を強みとする日本経済は輸出でどんどん強くなり、輸入国の欧米は貿易赤字がみるみる膨らみました。「JAPANasNO.1」(エズラ・ボーゲル著1979年刊)が大ヒットし、日本の勢いが世界を席巻しました。1985年の世界のGDPは12.4兆$で、日本はアメリカに次いで1.4兆$、中国は0.3兆$でした。そこで、G5諸国(米・英・仏・独・日)が集まって貿易の不均衡を是正しようとニューヨークのプラザホテルで会議を開きます。アメリカ救済会議ともいえますが、これが世にいう「プラザ合意」です。日本はプラザ合意を受諾し、1986年には169円、1987年に144円まで円高になりました。しかし、急激な円高は経営業績を直撃し、日本は不況に陥りました。トヨタをはじめ名だたる企業が業績不振に陥り、大胆な構造改革が始まりました。
一方、円高は輸入品が安く手に入りますし、海外旅行も安くなり、海外の不動産も割安になります。輸出企業は苦戦しましたが、輸入企業は国内需要を刺激し、時間とともに好況に変化してゆきバブルが本格化しました。

その後、1990年3月末にバブルを冷やすために橋本蔵相(当時)による総量規制が導入され、8月末には公定歩合が6%に引き上げられ、バブルは一気にしぼんでしまい、日本はここから底なしの不況、世にいう「失われた20年」、今ではアベノミクス時代も含めて「失われた30年」という冬の時代に入りました。財テクに走っていた企業は軒並み倒産、破綻、業績悪化となり、大手上場企業は大規模なリストラを繰り返し、不動産を中心に巨額の資金を貸し出していた名だたる超優良銀行が軒並み破綻し、業績悪化しました。バブルのころは世界の一流バンカーと呼ばれてもてはやされていた金融機関は軒並みし世界市場から姿を消しました。北海道拓殖銀行、山一證券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が破たんし、小泉政権時代の竹中平蔵蔵相による骨太の方針が徹底され、不良債権の圧縮が進み都銀再編で今では4グループ(みずほ、MUFG、MSFG、りそな)になりました。

この間に世界で大きな変化が起きました。1989年11月8日のベルリンの壁の崩壊です。これにより米ソ冷戦が終結しました。東西問題が南北問題に転化したのはこの時です。
さらに画期的な技術革新が置きました。WINDOWS95が発売されてインターネットが普及し始めたのです。1995年に阪神淡路大震災発生を機に通信手段として携帯電話(当時はPHS)が普及し、その後スマホに置き換わりました。サイバー空間が誕生しサイバー市場が創造されました。

ながながと説明しましたが、私が経営コンサルタントとして仕事をしているほとんどの間、経済はこのように激変につぐ激変でしたが、国際政治の面ではベルリンの壁が崩壊したことでソ連解体、米ソ冷戦終結で世界はパックスアメリカーナの時代になり久方ぶりの平和が訪れました。国境がなくなりヒト・モノ・カネが自由に流通し、そこにインターネットで情報もフリーになりました。
そのおかげでBRICSの成長力が顕著となり、中でも中国の急成長は著しく2010年には日本を抜きGDPで世界2位となり、習近平主席の登場で米中摩擦も出てきましたが概ね世界は平和でした。経済を見ておけば世界潮流を見通せた時代です。

大きな転換点は2019年12月の武漢発コロナパンデミックがきっかけです。派生的に海運物流の停滞、世界のサプライチェーンの棄損、IOTの急拡大に伴う半導体不足と続きました。そして、さらにあろうことか2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻です。NATOとWATOの戦いの様相を呈し、第3次世界大戦勃発の危険な駆け引きが隠密裏に行われている状況です。明らかにフェーズが変わりました。経済×政治形態×安全保障×サイバーテクノロジー×バイオテクノロジーの時代になったと言えます。しかもサイバー空間ではそのすべてが密接不可分に縦横無尽に複雑連鎖して起きる現象は今までの経験していない出来事です。私たちは全く新しいステージにいると考えたほうが良いと思っています。

このような時は謙虚に過去の歴史に学び、聖賢に学び、自然の摂理に学び、そこからヒントを導き出すことが大事だと思います。最も変わらない「人間とは何か」を学び追求することが、未来に希望をつなげ、会社経営の方向性を知る最短の方法です。安岡正篤師の「思考の三原則」、すなわち、長期的に見る、多面的に見る、根本的にみることを大事にしたいと考えています。