No.1178 ≪悠久におもいをはせる≫-2021.9.8

コロナと政局で混沌としている世間の喧騒から逃れ、心は悠久の彼方、縄文の頃に遊んでみませんか?
どこの神社に行っても蛇腹タイプの「神拝詞」が置いてありますので、神社参拝の機会がありましたら是非いただいてください。たいていは無料でいただけます。その中には主な祝詞が印刷されています。表一面に印刷されているのがもっとも重要な大祓詞(おおはらへのことば)です。裏返しますと、祓詞(はらへことば)、略祓詞(りゃくはらへことば)、神社拝詞(じんじゃはいし)、神棚拝詞(かみだなはいし)、祖霊拝詞(それいはいし)、略拝詞(りゃくはいし)と印刷されています。すべてフリガナがふられていますので読むことができます。漢字にとらわれず声に出して読んでみてください。日本語は言霊といわれるように「音」が大事です。「音」を漢字に置き換えて表記したので今では漢字の意味に引きずられて本来の意味が希薄になっているものがたくさんあります。
ぜひ、声に出して読んでみて下さい。なんとなくイメージがわいてくるから不思議です。

大祓詞(おおはらへのことば)は神職の方が朝な夕なのお勤めの時に奏上される祝詞で、神々の誕生と天地創造の物語が描かれており、今の平和な世界を造化していただき未来永劫に護っていいただいている感謝の祈りです。毎朝毎夕全国の神社で21690名の神職の方が祝詞を奏上されているのですから、1年で1583万回に上ります。神社ではそれ以外に祭りが毎週のようにありますので、その時も様々な祝詞が奏上されます。さらに信者の方も神棚を前に感謝の祈りを捧げれています。この祈りによって日本は建国以来2681年の長きにわたって繁栄しているのです。

さて、古事記をご存じの方は多いでしょう。編纂のいきさつは様々な説があります。天智天皇が皇太子のころ、乙巳の変(645年)で蘇我入鹿を暗殺したとき、蘇我家に保管されていた『天皇記』や『国記』などの重要な歴史書が消失しました。本来、すぐさま新しい史書編纂を命じるのですが、当時は朝鮮半島の同盟国である百済国を救援するために白村江まで遠征し唐と戦い(663年)惨敗を喫してしまいます。命からがら帰国し、九州各地に防人を配置し、都を移し政治を行いますが、その間に豪族がめいめい都合よく『帝紀』や系譜を作成し流布していました。

壬申の乱(672年)で天智天皇の皇太子の大友皇子を破り政権を手中にした天武天皇が正当な史書を編纂するよう命じたのが始まりだといわれている説が有力のようです。そこで優れた記憶力を持つ稗田阿礼に命じて『帝紀』及『本辭』などの文献を誦習させましたが、天武天皇没後は事業が停滞していました。父の事業を継続しようと元明天皇の命を受け、太安万侶が稗田阿礼の誦習していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を編纂し『古事記』を完成させました。元明天皇は天智天皇の皇女で大友皇子の妹にあたり、天武天皇の皇太子で早逝した草壁皇子の正妃です。

このようないきさつで編纂された古事記には実に様々な個性豊かな神々が登場します。イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、オオクニヌシ、オオモノヌシは言うに及ばず神武天皇、ヤマトタケル、ヤマトヒメ、オトタチバナヒメ・・・悠久のロマンの中でヒーローやヒロインが様々なエピソードを添えてくれます。作り話のように見えますが恐らく実話だと思います。
実際に、古事記の現場を旅する「まほろば研究会」で現地を訪ねると、考古学的な遺跡や遺物がたくさん出土しています。さらに面白いのは、時の権力に対抗するために「お神楽」という形で真実を今に伝承していることです。

「神拝詞」の表側にある大祓詞(おおはらへのことば)に出てくる神々はたった4神(神は柱といいます)。セオリツヒメ、ハヤアキツヒメ、イブキドヌシ、ハヤサスラヒメです。ところが、史書である古事記に出てくるのはハヤアキツヒメだけです。ほかの3柱は日本書紀にも出てきません。しかし、祝詞には祓戸四大神として出てくるのです。
「神拝詞」の裏側にある祝詞に登場する神はイザナギとアマテラスの2神(柱)ですがこちらは古事記にも登場します。何かの思惑があるのでしょうが面白いですね。私はセオリツヒメに関心があり神戸の六甲山中にセオリツヒメの磐座(いわくら)があるというので参拝してきました。

さらに面白いことに、六甲山中のセオリツヒメの事は、いま姫路の山本先生に師事して日本最古の幻の歴史書といわれる「秀真伝(ホツマツタエ)」を勉強していますが、そこに出てくるのです。神社で奏上している「神拝詞」に出てくる神々が、古事記には記載されていませんが、「秀真伝(ホツマツタエ)」には出てきます。
古事記が第33代推古天皇まで記述されているのに対して、「秀真伝(ホツマツタエ)」は第12代景行天皇までの記録が書かれています。

五穀豊穣という言葉に表されているように農耕を中心にコミュニティを形成していた縄文人は、自然と調和し、命の元である食べ物を大事にし、悪人と言えども赦し、和を貴ぶ人たちで、八百万の神々にいつも感謝の祈りをささげる日本固有の民族といわれています。ゲノム解析やY染色体分析によると、特に沖縄や北海道には色濃く残っているそうです。今はやりのSDGSが叫ばれるはるか数千年前から縄文人はこれを実践してきたのではないでしょうか?
心が疲れた時、喧騒を離れ、豊かな自然に囲まれた鎮守の森の小さな神社を訪れてみてはいかがでしょうか?  はるか悠久のころに戻り、神々と交流して明日へ向かうパワー・エネルギーを充電できると思います。