No.1115 ≪コロナでチャンスがいっぱい その2≫-2020.5.27

やっと、コロナの一区切りがつきました。
5月25日に予定より約1週間前倒しで、最後まで残っていた首都圏と北海道の非常事態宣言が解除され、日本は新型コロナウイルス感染防止の緊急事態から脱しました。4月7日の遅すぎる緊急事態宣言発令と5月25日の早すぎる緊急事態宣言解除です。
どちらも緊急事態の基準があいまいなまま、「総合的に判断」されました。何とも後味の悪い締めくくりとなりました。
なぜなら、解除に至っては、「直近1週間の新規感染者が人口10万人当たり0.5人以下」を必須条件とし、他の6項目の指標も加味して「総合的に判断」することになっていました。
また、首都圏と関西圏は人の移動実態を見れば一体として考えざるを得ないとして、連帯責任ともいえる解除条件となっていました。
関西圏は1府2県が一体となり目標を達成し、解除されましたが、首都圏は神奈川県が未達成で苦戦していました。誰もが5月末までかかると覚悟していました。北海道も同様です。
ところが、なんと、首都圏も北海道も「専門家のご意見も聞きながら総合的に判断し」、一斉に解除です。筋が通りません。いったい国の威厳とは何なのか?疑問に思います。これで、今後の感染拡大の責任は国から地方のリーダーに移行してしまいました。
すっきりしないもやもやとした締めくくりです。「リーダーの決断」はとても重いものです。まして、一国の総理ともなると想像を絶します。
どのような決断を下しても賛否両論あります。リーダーは科学的な明確な判断基準を示し、確固たる信念のもとに全責任を負う。一切の言い訳をせず背水の陣をはる。だから反対論者も従う。そこにリーダーの崇高さがあり尊敬されるゆえんです。それが見えないのが悲しいです。

さて、愚痴はここまでにして待ちに待った外食の解禁です。
心地よい接客でおいしい食事と楽しい時間をレストランで過ごすことができるようになりました。新型コロナの主な感染防止策は、「3密防止」「マスク着用」「徹底した消毒」です。人がウイルスを運ぶので、ソーシャルディスタンスと徹底した「非接触」がポイントです。清潔好きの日本では伝統的に素地がありますが、手を洗ったりマスクをする習慣がなく、ハグやキスや握手が当たり前の国々ではコロナブームの時だけかもしれませんね。レストランでは生き残りのために休業中に様々な工夫がなされ、準備をしてきた店がたくさんあります。どのようなアイデアが出てくるか楽しみです。

非接触型レストランが出てきました。モニターに映る店員の指示でセルフ消毒し、セルフ測熱し、全身消毒エリアを通り指示されたルートで客席に移動する。あるいは、グループで入店しても個別席に座り、オンライン飲み会の要領で卓上モニターを使って歓談しながら会食するのです。
きめ細やかなリアル接客になれた人からすると開いた口が塞がらないかもしれませんね。

また別のレストランで、QRコードで読み取ったメニューを注文すると、配膳ロボットが席までやってきて「ご注文の商品をお取りください」と声をかけ、お客様がセルフで受け取る。注文と同時に会計も済んでいる。
お客様の評判も良く、清潔で感染の心配もないので安心して食事ができるそうです。店主は配膳ロボットを後2台追加投入するよていだとか。

フランスのインテリアデザイナーがコロナ対応テーブルを開発しました。テーブルの上から一人一人個別の上半身を覆う透明防護シールドが設置され、お客様は椅子に座ってマスクもせず、会話しながら食事ができるのです。未来的でおしゃれなデザインで評判です。

ホテルといえばバイキング。食べきれない多種類の料理が並び、自分で好きな料理を好きな分だけ取り分けることができるのが魅力です。しかし、コロナが蔓延してからは、不特定多数が使用するトングは使用不可になり、多くのホテルで、スタッフが取り分けて席に運ぶか、料理のそばに立って取り分けるサービスに変わりました。料理が最初から小皿に取り分けられるようになるかもしれません。

中国の中華レストランで円卓の大皿料理は各自が直箸で取るのが当たり前でしたが、今では菜箸(取り箸)がルール化されました。
啓蒙のための取り箸キャラクターや取り箸の歌まであります。台湾では、2006年のSARS流行の時に直箸は禁止になったそうです。台湾ではそのころから菜箸(取り箸)が根づいています。

感染防止原則を満たした方法で、互いに安心安全なアイデアが出てくることでしょう。
有史以来の人類発展の歴史は、「人との交流」が基本です。個が集団に、集団からコミュニティが形成され、よりクオリティの高い交流ツールとしての共通言語や文字が開発され、人々は少しづつ異質を受け入れ寛容になることで調和を手に入れました。
やがて、異文化との交流が始まり、互いの文化や技術に触発されてより高度な文明が発展します。これは疫病の蔓延と隣国との戦いを伴いました。 その後人々は相違を受け入れ寛容の幅を広げることで調和します。やがて、調和から異端が生まれ、より高度な調和のために人々は異端を受け入れ寛容性が涵養され、現在に続いています。
今のダイバーシティは人類の長い歴史の延長線上のひとつのプロセスです。今回のコロナという未知なる異端を受け入れ共存し、人々はまた少し寛容にならねばならないのかもしれません。