No1142 ≪老人国日本とヤングな中国をクープマン理論で検証≫-2020.12.16 

2020年はコロナで開けてコロナで暮れ、いつしか 無意識の鎖国化を進め、世界経済に関心を持たな い深刻な弊害を惹起しています。海外との接点は ネットのみ、しかも自分の好みの情報で世界を理 解したと自己満足している「井の中の蛙」的な人 が激増しているように思います。世界は広いし、 日本も広いのに自分の足で歩くことをやめ、肌感 覚がフェイク化していることに気づいていないの ではないでしょうか? コロナ前に“時を戻し” 世界をみてみませんか?

G20(米・中・日・独・英・仏・伊・加・露・韓・ 豪・印・土・墨・亜・伯・南阿・尼・サウジ)の GDPを1990年から5年ごとに拾ってゆくとその結 果に愕然とします。

1990 年、日本ではバブルが崩壊し失われた 20 年 が始まり、その時のGDPベスト5は米・日・独・ 仏・英の順でした。その状態が約15年続き、2005 年になりますと、中国が5位に仲間入りし、ベス ト5は米・日・独・英・中の順になりました。2008 年9月にはリーマンブラザーズが破綻するという リーマンショックが発生し、一触即発で世界恐慌 かという時に世界を救ったのは中国でした。 その結果、2010年になりますと、日本が中国に抜 かれて3位に落ちて順位は米・中・日・独・仏と なります。そして、2019年にはインドが5位に入 り、ベスト5は米・中・日・独・印となり、イギ リスとフランスは欄外に落ちました。 1990年と2019年の30年間を比較すると、成長率 では、中国が37倍でダントツトップ、2位はイン ドの 8.8 倍、3 位がインドネシアの 8.1 倍。元が 小さいのだから伸び率は大きくて当たり前と思っ ていませんか? とんでもない話です。日本も戦後はいつ消えても おかしくない存在だったのが世界2位の大国にま で成長したのです。侮ってはいけません。問題は 日本なのです。日本の成長倍率は1.6倍でG20加 盟国最下位です。アメリカは3.6倍ですから、日 本はほとんど停滞状態です。

また1990年と2019年を比較した別のデータで日 本をみると、恐ろしい現実があります。人口は1.0 倍で最低、特許件数は5.6倍で最低、平均年収は 1.0 倍で最低、労働生産性は 1.3 倍で最低です。

つまり、成長に価値を求めない老人国となってい るのです。かろうじて外貨準備高は中国、インド、 韓国に次いで 4 位を保っています。

もちろん、悪いことばかりではなく良いこともたくさんあります。 治安の良さや訪問したい国ランキングでは常に上位にいますし、最近の話題では「はやぶさ方式」の宇宙技術は高い評価を受けています。 しかし、「勢い」がないと未来を切り開く力は出てきません。

ランチェスターの法則を研究したクープマンが導 き出した「シェア理論」があります。マーケティ ングでは必須の理論です。このなかに射程距離の 考え方があり、地位逆転できる距離は√3である ことを明確にしています。つまり、1.73 倍以内に いる対象はすべて逆転可能だという理論です。 中国はたとえ自分のせいで起きた日清戦争とはい え、敗北した恨みを持ち続けていたでしょう。中 国共産党が建国以来、国力を付けたころからこの 思いを求心力に変えようとしても不思議ではあり ません。NO.1140号(12月2日発行)でお知らせ したように「2012年11月29日の習近平の演説で、 『2049年建国100年には、100年の恥辱を晴らし 偉大なる中華民族を復興する』と明言している」 ことでもうかがえます。 先ほどのG20の日中のGDP額に対して当てはめて みると、1990 年では日:中比は 7.9 倍で射程距離 には程遠く、2000年でも4.1倍、2005年は2.1倍 でまだ返り討ちのリスクがあります。しかし、翌 年の2006年には1.7倍となり完全に射程距離に入 りました。そして2010年には逆転してしまいまし た。その後の日中比は開く一方で、2019 年には 0.3 倍にまで中国が成長しています。 同じように日本と因縁のある韓国、ロシアを見て みると、1990 年には 11 倍以上の差がありました が、2019年には3倍まで縮まっています。うかう か油断できません。

中国が変わるきっかけになったのは、1992年の鄧 小平の「南巡講和」で、社会資本主義を標榜し改 革開放を始めた時です。その後の成長は先ほどの GDPベスト5を見ればわかります。特記すべきは、 2006 年 10 月に外貨準備高が 1 兆$を超えて日本 を抜いて世界 No.1 になったことです。2008 年に は2兆$、2011年には3兆$、今では日本の約3倍 の準備高になっています。これは「輸出代金は外 国通貨、つまりUS$で決済する」ルールが効いて います。

また、内需を拡大する上で、1988 年に国有財産で ある不動産の使用権の売買や賃貸が解禁された ことです。これにより多くの人が古い住宅、主に マンションですが、これを手に入れることができ、 成長意欲を刺激され、リスクをとる事をいとわな くなり、経済は大きく発展しました。 その結果、主要都市の再開発が進み、手に入れた 古い住宅が多額の立ち退き補償金に替わり、これ をもとに起業する人が激増したのです。日本の全 人口に匹敵する富裕層の誕生です。

私は 1996 年から顧問先社長と中国・上海を 3 か 月毎に訪問していました。訪問するたびにその変 貌ぶりは目を見張るものがありました。まさに風 景が変わるのです。あったものが解体され、なか ったものが建設され、人民服がおしゃれな洋服に 替わり、朝の自転車ラッシュが車のラッシュに替 わり、高層ビルや高級ホテルが次々と建設されて ゆきました。1996 年ごろは親の仇を見るような厳 しい射るような目で異邦人である私たちを見て いましたが、WTO 加盟を果たした 2002 年頃はその まなざしも少し和らぎました。完全に変わったと 実感したのは 2008 年の北京オリンピック開催で もなく、2010 年の上海万博開催でもなく、GDP で 日本に追いついた時でもなく、2016 年に有人宇宙 船打ち上げ成功の時でした。行き交う人々は、ま るで日本人は眼中にないぐらい自信に満ち溢れ 優越感に浸っていました。ややもすれば「お前た ちにはできないだろう」という居丈高な目もあり ました。しかし、これはまだ序の口でしょう。

日本はもう一度明治維新のころの「志」を取り戻 さねばならないのではないでしょうか?